活動が終わったら、アメリカにお礼に行く
【三宅】5年間と期限を区切っていましたね。こうした活動は、スタート時は盛り上がっても、すぐ尻すぼみになったりします。吉田先生はゴールを示した。5年間と決めたのはなぜですか?
【吉田】最初に相談したのが、原発にくわしい医療関係者の方々です。放射能の影響が子どもたちに出るのが、チェルノブイリのときだと4、5年。答えは「福島の場合でも、5、6年経てばどれだけの被害があるかわかるだろう」ということでした。では、5年で成果を出していこうということになった。私はいつも、どんな事業を始めるにときにも、終わり方を考えてスタートします。そうでないと、うまくいかないのです。
おそらく、寄付金が集まるのも3年までだろうと。その間に集めたお金で5年までは存続させる。それがわれわれの責任の取り方だろうと思ったのですが、4年目ぐらいになると「もう終わりですか」と言われる。確かに、寄付金をいただいてやっていますけれど、私たちにしたら、5年やったら褒めてもらえると考えていました(笑)。
【三宅】吉田先生がよく言われますが、教育支援協会を立ち上げたことも、「ふくしまキッズ」を応援するのも同じなのだと。民間の立場で、自分個人として何ができるのか、できることをやろうよということですか。
【吉田】私は祖母から教えられた「男の子っちゅうのは稼いで半人前、務め果たして一人前」という言葉を大切にしています。お金を稼いで、家族を養っているだけでなく、世の中で役に立つ人間になってこそ、人間なんだと祖母は言うのです。そのために勉強し、自分を磨くんだと。よく子どもたちが「何で勉強するんですか」と聞きますが、その時に「世のために役に立つ人間になるためだ」というと、子どもたちは必ず「先生は役に立っているんですか」と聞いてきます。その時に「俺はそのつもりでいるぜ」と話して、子どもたちがそうだなと納得しない限り、つまり、子どもたちにモデルを示さない限り本当の教育はできないですよ。
【三宅】5年目の活動の節目として昨年の10月にニューヨークで活動報告会を開催されました。8人の子どもたちが「ふくしまキッズ」の代表として、特に大きな支援団体となった、アメリカのジャパン・ソサエティーを会場に英語で感謝を述べました。その内容は子どもの視点から率直に語られて、自信を持って堂々と話す姿に会場は感動で、皆さん涙されたと聞いています。先生のニューヨーク活動報告会によせる思いはどのようなものだったのしょうか。
【吉田】活動を始めようとしても、まず資金がありません。子どもたちを北海道へ連れて行って、お金が足りないから途中で帰るってわけにはいきません。いろいろと思案し、混乱していたところへ、ジャパン・ソサエティーから30万ドル送られてきたんですよ。当時の為替レートだと日本円で2700万円。本当に感謝しました。そのときに「この活動が終わったら、アメリカへお礼に行こう」という話をしていました。