他人に対して優しくなれる理由
東京大空襲――。今なお正確な死者数が出されていない大惨事に、海老名さん一家も巻き込まれた。兄一人だけは助かったが、6人は被害に見舞われた。悲劇はこれで終わらなかった。親兄弟を失った少女は、親戚などを頼って歩いた。かつて海老名さんたちは、親戚や行楽地など、どこへ行っても可愛がられていたが、どこも手のひらを返したように冷たかった。
そんな海老名さんの“救世主”となったのが、落語家の三遊亭金馬師匠(三代目)だった。「竿忠」のお得意さんだった金馬師匠は、一家の身を案じ、自宅の焼け跡の石段に「金馬来る。連絡乞う」の書き置きをしていた。それを見て、訪ねていったところ、諸手を挙げて喜び、すぐさま「うちの子におなり」と言ったという。
そのご縁から三平師匠との結婚があり、現在に至っているが、海老名さんは東京大空襲の慰霊に奔走し続けた。海老名さん自身、実は東京大空襲の遺族として扱われていない。家族の遺骨が見つかっていないためだ。
東京都に「慰霊の日」を制定するようお願いしたり、慰霊碑の建立を申請するも、糠に釘のような状態が何年も続いた。ようやく、海老名さんが上野の寛永寺に相談し、敷地の一部を使わせてもらえる許可が出てようやく都もゴーサインを出したという。とはいえ、石碑の像にもんぺ姿は戦争を彷彿されるからNGだとか、都は些末なことに神経を尖らせる始末。本当に向き合うべきことをしていないことが行間から伝わってくる。
そんな凄まじい過去、過酷な人生を送ってきたと、誰が想像できるだろうか。テレビ番組などで拝見する姿は、いつも笑顔で楽しいおばあちゃんだからだ。しかし、悲しいことを数多く乗り越えてきたからこそ、人は他人に対して優しくなれるし、笑っていられるのだろう。
本書は新書なので手軽に持ち運べるが、電車内などでは気をつけた方がいい。思わず、涙してしまう姿を見られる恐れがあるからだ。