今年で90歳になる英国人社会学者ロナルド・ドーアの回想記。
ドーア教授は教育問題、労働問題が専門だが、戦後の日本研究の草分けでもある。戦後の「日本的経営」を高く評価しており、それがグローバリズムによって崩壊しつつあることを喝破した『働くということ』(中公新書)は10年前の刊行ながら、今でも読むに値する名著だ。その後も活発に著作を発表している。
回想記である本書『幻滅』には、当然ながらドーア教授の知的遍歴や交友が描かれている。同時に、本書は戦後日本社会の変容の年代記ともなっている。長年の労働党支持者のドーア教授は、当然ながら社会党が強く、保革伯仲の感のあった1980年頃までの日本を好ましく見ている。それは同時に日本経済が高度成長を遂げている時代でもあり、ドーア教授から見ても日本の知識人が輝いていた時代だった。丸山眞男、市井三郎、鶴見俊輔など、懐かしい名前が続々登場する。
ドーア教授の「日本に対する好意が冷め始めた」のは、80年代の前半だった。中曽根内閣の頃だ。中曽根行革についての「教条主義的な新自由主義の表明」「増税せずに、予算の赤字を一時的に埋める方法」「国有の五現業の労組を潰す」という評価は的確そのもの。また、同じ頃に「国際会議・シンポジウムなどで、日本の政界・財界などの代表が、昔の低姿勢を打ち捨て、日本が今にもナンバーワンになるという自信爛漫(らんまん)の態度を見せる人が多くなった」という観察は、実に貴重である。行革の一環としての規制緩和と、日本の政財界が抱いていた過剰な自信が相俟って、昭和末のバブルが起きることになった。
平成の日本については手厳しい。実は『幻滅』という表題も、この時代の見聞についてのものだ。細川から橋本、小泉と、市場主義的な改革が進展した時代で、「サッチャー主義の時代」と言い換えることもできる。煎じ詰めれば弱肉強食の思想を奉じるサッチャーがイギリス社会を決定的に悪くしたと考えるドーア教授としては、幻滅を覚えるのも当然だろう。
ただし、平成の歴代内閣はバブル崩壊で生じた不良債権の処理に必死だった。また、首相たちもブレーンも、経済の成熟による成長率の低下という問題に苦しめられていた。暗中模索の中での市場主義への傾斜だったのだ。
巻末には付録として、ドーア教授の落語の一席も収録されている。そこまで日本語が達者なのだ。そして、落語ファンらしいユーモアの感覚は、本書の隅々にちりばめられている。著者と同じく、安倍政権下で、戦後日本のよい部分が決定的に失われてしまうと感じる私にとって、正確なだけに陰鬱な内容であるはずの本書を楽しくしてくれたのは、そのユーモアだった。