満洲といえば、すぐに「ハルビン」が思い浮かぶ。大連から鞍山を通ってハルビンに至る満洲。大連には、戦前の日本人が造った高級住宅街の南山が、当時の面影を残し、鞍山には、日本が造った巨大な製鉄所が未だに稼働している。満洲の中心となったハルビンも、日本から見た満洲である。1909年10月26日、満洲視察の伊藤博文が安重根に暗殺されたのも、ココツォフ蔵相との会談のために訪れたハルビン駅だった。すべてが日本からの視点で満洲を考えてしまうのだ。

ハルビンは、ロシアが莫大な資金を投じたシベリア鉄道の敷設と同じ時期に、李鴻章から租借して東清鉄道を敷設する拠点として、住む人もいない満洲の原野に、忽然とつくられ、その後、帝政ロシア末期、極東政策をめぐる中心となった都市である。「拡張成功への期待と『黄色い大群』への恐れを一身に体現していた」、ロシアの植民地でもあった。

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