壮絶な過去を振り返った自叙伝

“昭和の爆笑王”と呼ばれた先代・林家三平師匠の妻で、三平師匠亡き後の林家一門を取りまとめるおかみさんとして知られる海老名香葉子さんの著書。といっても、他のタレント本とは全く違う壮絶な自身の過去を振り返った感動の自叙伝であり、戦後70年経った今も埋もれている歴史を紐解く重要な一冊だといっていい。

『私たちの国に起きたこと』海老名香葉子 小学館新書

海老名さんは1933年、江戸和竿「竿忠」という釣り竿師の家に生まれた。曾祖父は名人と呼ばれた人で、1900年のパリ万博に出品して入賞したこともあったという。いわば伝統職人の名家で、上に3人の兄、下に8歳違いの弟がいた。祖父母と両親の9人家族。祖母が長火鉢にキセルをポンポンとはたく音、母が朝食を作るため、まな板の上で食材を切る音、ごはんが炊き上がる匂いなどから始める朝など日常の描写が細かく描かれ、幸せな日々の光景が目に浮かぶ。

本来なら、この幸せな一家は長男が家を継ぎ、海老名さんもいい縁談かステキな恋愛を経て結婚していき、孫を見せて両親の喜ぶ顔をみて喜んでいたに違いない。しかし、この幸せな一家の運命を一転させたのは、戦争だった。1941年12月8日、太平洋戦争が開戦する。

国防婦人会に足繁く通うようになった祖母は、出征する兵士の接待や戦地にいる兵士のための慰問袋作りに忙しくなった。母も千人針や祖母の助けをするようになった。中学生の兄たちは勤労奉仕で軍需工場に行くようになった。まだ小学生だった海老名さんだが、当時の子どもたちが皆そうだったように、兵隊さんにエールを送る愛国少女になっていた。

今のように情報が行き届いている時代ではない。お国が勝利することを本気で信じていながら、夜になれば灯火管制で電燈に黒い布をかぶせ、身を寄せる毎日。空襲警報が鳴ると警防団の役員をしていた父は消火活動に出かけ、残された家族は防空壕に逃げ込んでいた。

1944年7月、国民学校で学童疎開が始まった。一般的には強制的なものだが、中には縁故疎開といって親戚や知人を頼って疎開するケースもあった。家族で唯一国民学校に通っていた海老名さんは叔母のいる静岡・沼津に行くことになった。この疎開が運命の分かれ道だった。