江戸の芸術というと、浮世絵や日本刀などがすぐに思い浮かぶだろうが、私は「和算」(数学)も芸術だと考えている。和算の世界では、自分たちが考えた問題と、その解答を「算額」として神社仏閣に奉納していた。数学の「絵馬」と考えればよい。
それにしても数学の問答を神や仏に捧げるなどというのは、世界でも日本だけのことで、それだけ数学を尊んだ証しだ。その算額は極彩色で見た目にも非常に美しく、まさに芸術のなかの芸術といえるだろう。
実は、浮世絵にも和算がかかわっている。浮世絵は多色刷りで、色ごとに版を何枚も重ねて刷る。そのときに使う印刷技術が、いまも印刷で版と版を重ねるのに使う「トンボ」だ。和算書の最高傑作である吉田光由(みつよし)の『塵劫記(じんこうき)』は、最初は白黒の単色だったが、ベストセラーになる途中でカラー版がつくられた。
そして、その多色刷りのときに、トンボが発明されたといわれているのだ。つまり、浮世絵の技術の原点は数学書にあったということができる。
日本で和算が盛り上がった1つの大きな理由は、この出版の技術の革新にある。そうした和算書のなかでも、塵劫記は子どもから大人までがこぞって読み、徳川の歴代将軍も愛読したほど。とにかく問題が非常に優れている。
おカネの計算、給料の計算、金利の計算、度量衡(長さ、体積、質量)など日々の身近に必要な計算から始まり、どんどん内容が高度になっていく。つまり、基本から応用まであらゆる問題が載っている。日本の数学の土台は、塵劫記でつくられたといっても過言ではない。