ドンキホーテホールディングスのカリスマ創業経営者、安田隆夫氏が経営の一線から退いた。業界の常識を無視した「異端児」が今や、既存の小売業大手を脅かす存在に成長した。それは、「安田隆夫」というカリスマの存在なしにはありえなかった。最愛の「わが子ドン・キホーテ」を手放した今の心境を、安田氏が激白した。
※第1回はこちら(http://president.jp/articles/-/16411)
《ドタバタ劇のようなことを繰り返しながらも、安田氏は頑として流通のプロや経験者を雇わず、ドン・キホーテをあくまで素人集団で押し通した。プロや経験者を雇えば、他のディスカウントストアと同じ店になってしまうからだ。それくらい、事業、業態としての独自性にこだわったのである。》
――結局、最後は素人集団の従業員に「丸投げ」することにした。
【安田】八方手を尽くしたが、それでも思うような店はなかなかできなかった。最後は、「これでダメならもうやめよう」と腹をくくって、商品部門別に、仕入れから陳列、販売まで担当者にすべて丸投げした。それも各部門の担当者全員に、それぞれ専用の預金通帳を持たせて商売させるという徹底した権限委譲を行った。つまり、各部門の担当者が「個人商店主」になるというシステムだ。この「権限委譲による個人商店主システム」は、後年のドンキ最大のサクセス要因になった。
――当時、会長は卸売業も営む商品の選定・仕入れにおけるプロ中のプロだ。徹底した権限委譲に、迷いや逡巡はなかったのか。
【安田】私が実行した権限委譲は、まさしく板長が見習の皿洗いに板場を任せるようなものだからね。そりゃハラハラし通しだったよ。たとえば同じ商品を、私が(卸売業で)卸す売値より、わざわざ他社から高く仕入れてくる奴がいたりとかね、そんな下手や失敗は山のようにあった。
それでも私は口を出さずにじっと耐え、彼らを見守った。以前とはうって変わって、社員がいきいきと仕事をし出したからだ。
《従業員たちがドンキ流の圧縮陳列を実践できなかったのは、安田氏が泥棒市場で得た原体験を共有できていなかったからだ。だが徹底した権限委譲を実行することで、従業員たちは自ら試行錯誤し、失敗や成功の体験を積み重ね、ノウハウを取得していった。
結果的に、安田氏は、従業員たちに「泥棒市場」時代の原体験を疑似共有させることに成功した。その後、この権限委譲システムは安田氏の想定以上の好循環を始め、ドン・キホーテの大躍進を支える礎となった。》