――「禍福は糾える縄のごとし」というが、ドンキは幾多の「禍」を乗り越えて、それを上回る「福」を掴み取ってきた。

【安田】不思議なもので、当社に訪れる禍福は、私の人生同様、いつもボラティリティ(変動幅)が大きい。だから「禍」の風の強さだけ考えて嘆いてもしょうがない。「これは次の大きな福の風が吹く予兆なんだ」くらいに思わなければ。

何度も「大禍」を耐え忍べたのは、会社を命がけで愛しているから。私がつくったドン・キホーテという店と組織を何が何でも守り、絶対に毀損させないぞという執念が、異常なまでの頑張りと予想もつかない知恵や発想を生んだ。それが新たな「大福」を引き寄せる誘い水になったということだろう。

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波瀾万丈のドン・キホーテ史
――ただ、実際の経営現場における「禍」のプレッシャーは、筆舌に尽くしがたいはず。そんなとき、リーダーとして毅然としたところを見せるため、どう心を静め、乗り越えてきたのか。

【安田】そういう「禍」や不運に遭遇して、一番動揺しているのは、実は私だ。でもそれを部下に見せれば、社内で動揺がどんどん増幅する。それはまずいから、とにかく平静を装う。そうして装い続ける作業を、朝から晩までやっていると、それが演技なのか、本来の心境なのかわからなくなってくる(笑)。いい意味での「演技性人格変貌」みたいなものだ。要はそこまでやらないと、経営者としては乗り越えられないということ。少なくとも気分転換的な手法では、絶対に乗り越えられないと思う。

《冒頭で安田氏は、ドン・キホーテのビジョナリーカンパニー化を目指していると語った。自他ともに認めるカリスマ経営者として君臨してきた安田氏は、自ら勇退するに当たって、カリスマ不要の経営を提唱しているのだ。

もちろんこれは、自己否定ではない。安田イズムとそのDNAは、前出の『源流』に脈々と受け継がれている。今は業績絶好調な同社だが、思いもよらぬ「大禍」が、いつやってこないとも限らない。安田氏なしでそれを乗り越え、さらに大きな「福」を手にしたとき、同社は名実ともにビジョナリーカンパニーの仲間入りを果たすだろう。》

ドンキホーテホールディングス創業会長兼最高顧問 安田隆夫(やすだ・たかお)
1949年、岐阜県大垣市生まれ。73年慶應義塾大学卒業後、不動産会社、フリーターなどを経て、78年ディスカウントショップ「泥棒市場」を創業。80年ジャスト(現ドン・キホーテ)を設立。泥棒市場は繁盛店となるも5年で売却。83年リーダーを設立し卸売業に参入。同社を関東有数のディスカウント問屋に成長させた。89年東京・府中市にドン・キホーテ1号店を開業。98年東証2部上場、2000年東証1部に変更。05年代表取締役会長兼CEO就任。15年CEOを勇退し現職。著書に『情熱商人』『ドン・キホーテ闘魂経営』(ともに月泉博氏との共著)ほか。
(流通コンサルタント 月泉 博=聞き手・解説)
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