1758(宝暦8)年、現在の三重県四日市市で太物・小間物商を創業した初代岡田惣左衛門に始まる岡田家は、五世惣右衛門の時代に大きく変貌する。1892(明治25)年に現在の就業規則や給与・経理規定に当たる「店規則」をはじめ、正札販売(定価販売)、複式簿記をいち早く導入。1926(大正15)年、六世惣右衛門が岡田屋呉服店として株式会社化した。
その後、惣右衛門をはじめ一族トップが相次ぎ早世、戦災の苦難も味わうが、次女・千鶴子氏、その弟・卓也氏が手腕を発揮、提携・合併の連続で商圏を拡大し、69年のジャスコ創業で現在の巨大流通グループの礎を築いた。
なぜ、彼らは成功したのか。2人をよく知る元グループ社員で、現在は経営コンサルティング業を営む東海友和氏(67歳)にそのゆえんを伺った。
私は岡田卓也さん(名誉会長相談役)のお姉さんの小嶋(旧姓岡田)千鶴子さん(名誉顧問)の下で人事部門に携わり、最後は岡田さんが理事長を務める岡田文化財団の事務局長に。岡田さんと小嶋さんお二方に間近で接していました。
岡田卓也さんは言わずと知れたジャスコ創業者ですが、小嶋さんはその9つ上。祖父、父、母、姉が立て続けに亡くなったことで、23歳のときに旧岡田屋呉服店の社長となり、60歳で現場を引退するまでグループを支え続け、その後も後見役としてグループを見守り続けた人物です。「ジャスコがあるのは小嶋がおったからや」と知っている人は知っている。もう97歳ですが、今もお元気です。
お二人は5人兄弟の中で最も似ているそうです。負けん気が強く、勉強熱心。よく喧嘩もしますが、とことんぶつかり合うと、どちらからともなくすっと引く。それに、両方とも照れ屋ですね。偉い人やと相手が身構えていても、「いえいえそんな。俺なんて田舎もんやから」という具合。そうした実直さとか生真面目さが、多くの方に支持される理由でしょう。
基本的には商人ですから、「店は客のためにある」という大原則が中核にあります。事業を興し、続ける動機は人それぞれですが、お二人のそれはお金持ちになることではありません。小嶋さんが各地の商店街や二世経営者を前に講演する際、第一声は「ここにお集まりの皆さんの中で、事業をやって、たくさん儲けて、贅沢をして、たとえばベンツに乗りたいとお考えなら、私の話はまったく参考にならないと思いますからどうぞお帰りください」ですから。一度、私が小嶋さんに「どうやったら金持ちになれるんですか」と聞いたことがありますが、「働くことやな、一生懸命」「勉強することやな」と言うだけ。話にならん(苦笑)。ともかく「お金が欲しい」という素ぶりなどおくびにも出しません。でも、そのほうが賢いですね。そういうのが表に出るのは中途半端な人です。