人生でV字復活を果たした人々はいったい何を支えとして耐え抜き、もう一花咲かせることができたのか?
33歳、突如下った地方への出向の辞令
意に沿わない辞令を渡されても、歯を食いしばり、しぶとく返り咲くビジネスパーソンがいる。
東レ経営研究所特別顧問の佐々木常夫もそのひとりだろう。東レ本社時代、49歳で初めて部長(プラスチック事業企画管理部)になり、57歳のときに同期トップで取締役(経営企画室長)に就任した。そのような人もうらやむ出世街道の礎ともいえる経験、それは突然人事部より出された出向辞令によってもたらされたものだった。
東京大学卒業後に東レに入社して10年。佐々木は着実に実績を残したが、33歳のとき、石川県金沢市にある同社取引先の繊維商社に突如出向を命じられたのである。まさに寝耳に水。その商社は、極度の業績不振にあえぎ、経営再建に一刻の猶予もなかった。
東京の本社を離れ、現地に赴任した東レ社員は最年少の佐々木を含め14人。当時、佐々木は何を思ったのか。
「役員クラスの人も出向メンバーにいて、そういう人の場合、おそらく片道切符になるのだろうなと感じていました。昔も今も、本社は社員数が多いですから、間引かれるのはサラリーマンの宿命。ほとんどの場合、一度出向すると戻ってくることはほとんどありません。そこで、おしまいです。でも、私の場合、『なんで、俺が出向?』と違和感を持った半面、出向メンバーのなかで一番若く、いずれ戻れるだろうという感触もあって、それほど悲壮感はなかったんです。ただ、現地へ赴くと、本社に対する敷居の高さを強く感じました。本社と関連会社の厳然たる主従関係。同じ東レグループなのに温度差や身分差のようなものを感じずにはいられませんでした」(佐々木)