「to doの人よりto beの人になれ」
「安居さんは、あの新渡戸稲造がリーダーとなるべき人の物差しとして語った『to do(なすこと)よりto be(あること)』を実践した人なのでしょう。つまり、正しいことを遂行できる人だった。帝人でのキャリアの最後に、本社に返り咲きできたのは、それまでの出向や左遷による子会社経験で人間的な厚みが出たから。逆境は、人を育てます。一方、ずっと本社の日のあたる場所しか経験していない順風満帆の人は、人間としてどこか弱いのかもしれません」(佐々木)
安居は、帝人社長のあと、同社会長などを経て、中小企業金融公庫総裁も歴任している。
佐々木が、逆境のなかを自らの力で突き進み、見事社長となった事例としてあげたのがアサヒビール元社長・元会長(99年就任)の瀬戸雄三だ。
ビールの鮮度に着目し、「製造後20日以内」だったビールの出荷を「3日以内」に短縮させる改革などによってスーパードライを復活させ、業界トップシェア奪取に成功した敏腕経営者。
だが、支店長などと反りが合わず、入社3年目で他社製品に席巻された市場への異動を命じられたり、40歳のときは東京本社でビール営業を統括する課長職を11カ月で解任されたりするなど2度の左遷を経験している。
「瀬戸さんは火の玉みたいな人です。ちょっとやそっとじゃへこたれないバイタリティとアイデアの持ち主で行動力も抜群。当時の社長は大手銀行出身。その人物の目にプロパー社員の瀬戸さんがとまったのです」(同)
また、現役の経営者では、ライフネット生命保険会長兼CEОの出口治明も日本生命時代に55歳で突然、ビルの管理会社へ出向させられ、良品計画会長の松井忠三も41歳のときに西友人事部課長から当時は規模も小さかった子会社の良品計画に出向させられた経験を持つ。いわば、本流ではなく左遷・出向組を含む「傍流」出身の経営者が最近目立つのは、周辺的な位置にいる人(マージナル・マン)ほど、既存の秩序や社会的な価値に異議申し立てでき、イノベーションの主体となれるから、という経済学の仮説もある。