犯行時刻を示す証拠の疑問点

『袴田事件』山本徹美著(プレジデント社)

「袴田事件」では、「衣類」が重要な意味をもつ。

まず、私が着目したのは、味噌製造会社専務家族の着衣であった。

家族4人は殺害された後、放火によって遺体が焼かれたため、損傷がひどかった。そのため、正確な着衣は不明であるが、それでも殺害時刻を想定させるような「物証」を残していた。

静岡県警の主張する殺害時刻は、午前1時半頃。家族全員は、「就寝していた」ところを襲われた、としている。

そこで、その時間帯で、「就寝していた」服装を想像していただきたい。

実際に遺体で発見された際の実況見分調書は、拙著に記載してある通りである。

家族4人とも、とても就寝していたとは思えない恰好であることに気づかされるはずである。少なくとも、私は、

「え? こんな服装で寝るなんて、あり得るのか?」

声に出して驚いたものだ。

事件当夜は、台風の影響があって、新聞発表では熱帯夜(28℃、湿度80%)であった。公判には静岡地方気象台からの気象情報が提出されたが、そこには肝心の気温と湿度が欠落していた。これは、後に発見される「5点の衣類」とも関連してくるので、重要な「情報」である。

その夜はとても蒸し暑く、実際に、家族のだれかは、アイスクリームを食べたらしく、空箱が残されていた。それなのに、入浴もせずに眠るとは考えにくい。

検証調書には、風呂の記述もあるにはあるが、その風呂を家族が使用した形跡があるのか、ないのか、それを調べたのかどうか、不明である。

夜具の準備はしてあった。

私が推測するに、彼らは風呂へ入る前、何者かによって殺害されたのであろう。それは午前1時半よりも、もっとはやい時間帯とみたほうが自然である。しかし、そうなると、警察にしてみれば、都合が悪くなる。

袴田さんのアリバイが成立するからだ。

殺害は午前1時半頃でなくてはならない――警察がその無理を押しとおしたため、不可解な事実が「謎」として残された。

被害者の着衣は、もの言えぬ彼らの「物証」であり、ダイイングメッセージにも思える。

かくも不自然な犯行時刻設定であるにもかかわらず、被害者の着衣が裁判で審理されることはついになかった。