「5点の衣類」の謎とは

事件発生は1966年6月30日。袴田さんが任意同行を求められ、そのまま拘禁されたのが、同8月19日。以後、拷問にも相当する過酷な取り調べにより、自白を強要され、ついに、警察によって創作された供述調書に押捺、逮捕された。

警察は袴田さんを犯人に仕立てるため、ほかにもいくつかの「小細工」を弄し、証拠を捏造した。(拙著参照)

静岡地裁で公判が開廷されると、そうした小細工をはじめとして、自白そのものにも疑念がもたれ、警察・検察側は窮地に立たされる。そんなとき、じつにタイムリーに新たな証拠が出現する。

1967年8月31日、味噌を仕込んであるタンク(コンクリート槽)から麻(南京)袋に入った衣類が出てきた。いわゆる「5点の衣類」である。

・グリーン男性用パンツ
・白ステテコ
・黒色ズボン
・白半袖Vネックシャツ
・黒色スポーツシャツ

これら衣類からはそれぞれ血痕が認められ、警察・検察側は被害者の血液と、袴田さん自身が負った傷によるもの、とした。

血液に関しては、その後、DNA鑑定に持ち込まれるのだが、それ以前に私が疑問を感じたのは、この麻袋が、いつ、味噌タンクに仕込まれたか、であった。

事件直後の66年7月4日、警察が検証した際には、異常はなかった。その後、7月20日、味噌を仕込むため、槽内に異物がないか点検作業がおこなわれ、4トンの味噌が搬入され、8分目まで埋まった。その点検作業をやるのは「だいたい1人」で、担当者(袴田さんではない)も決まっていた。それをある従業員は、公判廷で、

「袴田がやった」

と証言したが、袴田さんは否定し、その後は、その証言者を含め、どの従業員も、

「だれがやったか、よく覚えていない」

と、曖昧な証言に変わる。いずれにせよ、事件発生直後に麻袋を仕込むとすれば、7月20日以外には考えられない。なお、その頃、袴田さんは警察に徹底マークされ、執拗に追尾されていたのである。

その味噌は翌67年7月25日から搬出が開始された。それから、麻袋が発見されるまでに、1カ月と1週間。この間であれば、いくらでも麻袋を仕込むことはできる。当然のことながら、袴田さんは勾留されているため、麻袋はおろか外出さえ不可能である。

仮に前年7月20日に仕込まれたとすると、丸1年間、5点の衣類は味噌漬けになっていたことになる。そうなると、また化学的には説明できない現象がでてくる。(※次回詳述)