「袴田事件は冤罪です」
ある編集者が私を紹介するのに、
「酒、競馬、殺し、と、あと……」
ときたので、すかさず、
「金融もやってます!」
付け足したことがある。念のため、取材の対象分野について、である。
1991年頃、ある雑誌で「チェック・ザ・シーン」というスポーツコラムを連載していたのがスポーツニッポン新聞社の記者の眼にとまり、何か書いてみませんか、と打診された。かねてより、殺人事件の取材機会に恵まれ(?)、警察・司法関係者の人脈、ケース(事件・判例)資料ともに多少の蓄積があり、それとスポーツ・ノンフィクションとを合体させたようなものを、と考えていたところ、たまたまニュースでファイティング原田会長(当時)がリング上で、
「袴田事件は冤罪です」
汗だくで熱弁をふるう姿を観た。これが、きっかけである。
殺人事件取材については、作家の岩川隆さんに鍛えられた。岩川さんの『殺人全書』(徳間文庫)では、スタッフの一員に加えていただいたが、当初は西も東もわからない駆け出しの新米である。題材が過去の事件であるため、裁判資料から入手しなくてはならない。それが容易ではなかった。
まず、調べたい殺人事件の「事件番号」を突き止めなくてはならない。それは地裁の刑事事務課にある。が、担当者が調べて教えてくれるかどうかは、交渉してみないとわからない。事件番号が判明したら、地検の刑事部へ。刑事記録課か刑事訟廷記録課の検務1課もしくは検務2課へ行き、記録係と交渉する。そこで、了承されたとしても、せいぜい判決文の閲覧だけで、コピーはまず、無理。公判調書にいたっては、法律で当事者以外の謄写を禁じている。
東京地裁の場合は、何回も通い、記事を見せるなどして、ある程度信用してもらえたらしく、いつしか、また来たの、という感じで事件番号を教えてもらえるようになった。これが地方となると、そうはいかない。一見(いちげん)さんお断りは当たり前で、2回、3回、とお願いに行く。そんな経験を重ねるうちに、2回目の感触で、だいたい融通の利く相手か否かが判別できるようになった。
地検のほうは、もっと手ごわい。おしなべて失敗に終わる。が、なかには、判決文だけ見せてもらえる場合もあった。それも例外であって、わずかでも感触がある時は、
「せめて、担当の弁護士だけでも」
と、食いさがる。それで名前を教えてもらえたことも2、3回、あった。
その後、アメリカで殺人事件の取材をする機会があったが、判決文はもとより死体検案書から、警察、検察官による調書まで、コピー代さえ払えばだれでも自由に入手できると知り、実際にそれを体験して、さすが先進国はちがう、と感心し、羨ましくもあった。
いずれにせよ、過去の裁判資料を入手するのは、なかなかホネが折れ、時間のかかる作業なのである。