「袴田事件」とは
平成26年3月27日、静岡地裁でいわゆる「袴田事件」の再審が決定した。
その報せを喜ぶ弁護団のなかには、袴田巌さんの実姉、秀子さんや、元プロボクサー輪島功一さんなどの顔があった。それを観て、ふと23年前、リング上でこの事件のことを訴えていたファイティング原田さんの姿を思い出したものだ。
プロボクサーが、強盗殺人放火事件の犯人とされ、死刑を宣告されたが、それは冤罪であり、無実だ、という。
当時、私は殺人事件を取材する機会が多く、それが縁で、司法・警察関係の資料と人脈なども少なからず得ていた。
ドキュメントとルポルタージュの観点から、この事件を見直したい、なにより、事実はどうであったのか、というのが取材、執筆の端緒ということになる。
ノンフィクションの原点は事実吟味と正確な情報伝達にあるが、そこで悩まされるのがコメントの処理である。その人が「見た、聞いた」ことがすべて事実とは断定できないところに、難点がある。それは裁判での証言についても同様であろう。ましてや強要によって自白がなされたり、供述が改竄されてはならない。
この袴田事件は、調べれば調べるほど、不合理、不可解な「謎」に突き当たった。
昭和41年6月30日、静岡県清水市(現静岡市)で火災が発生し、現場で家族4人の死体が発見された。これが、放火殺人であることは事実とみてまちがいない。ところが、強盗であるかどうかとなると、その証拠は私が調べた限りでは見当たらなかった。
警察も容疑者として袴田さんを逮捕したものの、当初、動機については確定できなかった。20日間におよぶ過酷な取調べの過程で、袴田さんはついに自白するのだが、動機については、痴情、怨恨、金銭目的と、一定しない。そんなとき、タイミングよくナンバー部分を焼いた5万円の入った差出人不明の封筒が清水郵便局で発見され、それが袴田さんの「知り合いに預けたお金」で、強盗して奪った金銭ということにされたのである。
静岡地裁で公判が開始されると、またもやタイムリーに味噌工場のタンクから、味噌漬けになった南京袋が出てきて、中からシャツやステテコなどの衣類が5点、出てきた。
そもそも、この味噌タンクは事件発生直後も現場検証がなされ、その際には、不審な点はいっさいなかったのである。
味噌工場の従業員であれば、この味噌タンクに犯行時の着衣などまとめて隠せば、いずれ搬出の際、発見されるということは先刻承知のはず。むしろ、発見されることを前提として、何者かが仕組んだのではないか。
「これは真犯人が動きだした証拠です」
と、袴田さんは母親に宛てた手紙に書いている。
この5点の衣類は、袴田さんの思惑とちがって「決定的証拠」とされ、最終的には死刑判決を下されてしまう。
とはいえ、この5点の衣類には、DNA鑑定を待つまでもなく、矛盾点や不可解な謎があった。そこが裁判で充分に審理されたのかどうか、疑問が残る。