1966年6月、静岡県清水市(現静岡市)で、味噌製造会社の専務宅から出火、メッタ刺しにされた4人の遺体が見つかった。この事件で犯人とされ死刑が確定した元プロボクサー・袴田巖さん(78歳)。長きにわたって獄窓にあったが、今年3月、再審開始が決定し保釈された。実に48年ぶりの自由の身であった。
巖さんを支え、ともに無実を訴え続けてきた姉・秀子さん(81歳)が、釈放からの4カ月を語った。

「自分に姉はいない」「もう事件は終わり」

袴田巖さんの姉 袴田秀子さん

長い闘いでした。でも、決して諦めることはありませんでした。私はこの日が必ず来ることを信じ、疑っていませんでしたから。

3月27日、静岡地裁で巖の再審開始の決定がようやくされました。81年に再審請求をし、地裁と東京高裁、最高裁で棄却。2008年には第2次再審請求をし、それがようやく受け入れられたのです。この吉報を知らせに東京拘置所へすぐに駆けつけました。午後3時過ぎのことです。面会室に現れた巖に、「巖、再審が決まったよ」と言うと即座に、

「そんなの嘘だ。袴田事件はもう終わっているんだ。あんたは変なことばかり言っている。嘘ばかり言っている」

そして、刑務官に向かってこうも言ったのです。

「もう帰ってもらってくれ」

その少し後でした。面会を終え、小さな部屋で書類を書いていると再び巖が姿を見せ、

「釈放された……」

と言ったので、もうびっくり。まさかその日に保釈されるとは思っていなかったので驚くと同時に、何とも言えないうれしさが込み上げてきました。これまでは月に1度、拘置所へ面会に行っていたのですが、いつも巖は、

「自分には姉なんかいない」「もう袴田事件は終わったんだ。帰ってくれ」

などと言って、最近は会えないことが続いていたのです。会えたとしても15分程度、狭い面会室でアクリル板をはさんででした。それが、目の前にいる。手の届くところにいるんです。私はしばらく巖の手を握っていました。