AI覇権のツケは誰が払うのか
AIをめぐる競争にも、同じ問いがある。計算能力を増やすには、サーバーだけでなく、電力、送電設備、土地、冷却の仕組みが要る。設備によっては大量の水も使う。国家の競争力を高める投資が、地域では、誰が設備増強の費用を払い、どこまで資源を使ってよいかという問題になる。
データセンターには雇用や税収という利益もある。しかし、建設時と稼働後の雇用は異なり、費用の負担者と利益を得る人も一致するとは限らない。地域への還元を求める人が、AIそのものに反対しているとは言えない。技術の進歩を支持することと、個別の立地条件を受け入れることは別の判断だ。
AI覇権は、国家が目標を掲げるだけでは実現しない。施設を受け入れる地域で、土地や電力、水をどう使い、費用と利益をどう分かち合うか。地域が受け入れられる条件をつくる能力そのものが、国家の競争力を左右する。
本書でAIと政治を別々の話題に閉じ込めなかった理由も、ここにある。技術的に可能なことを、社会が実行し続けられるとは限らない。その負担を引き受ける人々が、目指す未来に自分たちも含まれていると感じられるかが問われる。
今回の敗北を、データセンターへの反対だけで説明することはできない。だが、燃料費にも地域の資源にも共通する問いはある。「米国が強くなる」という約束の中に、自分たちの暮らしは入っているのか。負担の額に加え、その負担を誰と、何のために引き受けるのかが、政治を左右するのである。
民主党は共通の敵の先に何を共有できるのか
この問いは、勝った民主党にも向かう。
共和党への失望が民主党への投票を生んだとしても、そのすべてが民主党の政策全体への賛成とは限らない。物価を下げてほしい人、戦争を終えてほしい人、大統領権限を抑えてほしい人。同じ候補に票を投じても、その先に望むものは違う。
今回の民主党には、共和党の支持層へ食い込んだ候補と、既存の民主党政治を変えようとする民主社会主義勢力が、共に加わる。要求の異なる人々を集められたことが、勝利の幅を広げた。しかし、議会で一つの予算や法案を決める段階では、すべての要求を同時には実現できない。
選挙で多数派をつくる力を、議会で共同の決定を生む力へ変える必要がある。その際、主導権を握った側が、他の集団を票だけを提供する存在にしてしまえば、勝利を生んだ関係を自ら損なう。民主党の試練は、多様な支持を集めることから、その人々が決定にも関われる関係を築くことへ移る。
その試練を鋭く突きつけるのが、自分たちの将来を軽んじられたと感じる若者の怒りである。国家の豊かさが語られても、自分が家庭を持ち、住まいを得て、生活を築く未来が見えない。負担を求められても、その先に自分たちの居場所が見えない。そのとき問われるのは、誰の成功を、誰の将来を使って支えているのかということである。
ハルドゥーンは、創設時の苦難と協力の経験が、世代を経るにつれて失われ、集団を支えた力が変質する過程を描いた。この視点から現代を見ると、政治を動かした記憶が、次の世代を動かす理由にもなるとは限らないことが分かる。2016年にトランプ氏へ変革を託した人々には、既成政治に挑んだ記憶がある。
しかし、その後に政治参加を始めた若者には、トランプ氏自身が自分たちの将来を左右する権力者として映る。運動を始めた世代が過去の奪還を語るとき、次の世代は、これから何を築けるのかを問う。

