足し算が合わない選挙
10月6日、ドイツ東部ザクセン・アンハルト州の州議会で、新しい議長を選ぶ投票が行われた。
候補は、右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」のトビアス・ラウシュ氏である。AfDの議席は39。事前に支持を表明していた「ザーラ・ワーゲンクネヒト同盟(BSW)」は5議席。2つの会派が全員賛成しても、票は44にしかならない。
ところが、開票の結果は賛成48、反対29、棄権5だった。どこかから、4票が湧いて出たのである。AfD所属の議員がドイツの州議会議長に就くのは、これが初めてだった。
投票は秘密投票で、誰が賛成したかはわからない。ただ、公共放送ドイチュラントフンクによれば、キリスト教民主同盟(CDU)の会派執行部は、所属する15人の議員に棄権を勧めていた。この日、CDUの議員一人は欠席しており、出席していたのは14人である。それなのに、議会全体の棄権は5票しかなかった。
だからといって、CDUの議員が4人賛成したと決めつけることはできない。同党の州幹部は、反対票を投じるつもりだと話していた議員もいたと説明している。秘密投票の数字から、誰が、なぜそう投じたのかまでは読み取れない。
それでも、この算数の謎には、はっきりした意味がある。公に支持を表明した勢力の外側から、少なくとも4票が流れ込んだ。掲げられた方針と、実際の一票との間に、目に見える隔たりがあったのである。
揺れたのは、壁の内側だった
この投票がなぜ大きな意味を持つのか。それを知るには、ドイツ政治の「防火壁」という言葉を押さえておきたい。
防火壁とは、AfDとの協力を拒む、政党どうしの約束のようなものだ。ナチズムの歴史への反省と、民主的な憲法の秩序を守る意識が、その背景にある。法律で決まっているわけではない。連立を組まない、共同で政策を進めない、議会の役職選挙でどう振る舞うか。その一つ一つの判断を、政党と議員が担ってきた。
48票は、この壁に穴が開いた可能性を示した。そして、その影響は、壁の内側でさらに広がった。
同じ日の議会では、ほかの役職の選挙でも異変が起きていた。副議長の選挙で、社会民主党(SPD)のアルミン・ヴィリングマン氏は、3回目の投票でも賛成33、反対48で選ばれなかった。CDUのカルステン・ボルヒャート氏も、当選は2回目の投票だった。AfDの議長が一度の投票で選ばれた同じ日に、既存政党の候補者は、そろって一度では選ばれなかったのである。
翌7日、英フィナンシャル・タイムズは、この投票が、メルツ首相率いる保守陣営の新たな危機となり、連立相手のSPDとの緊張を深めていると報じた。SPD側は説明を求め、メルツ氏は、AfDに票を貸す行為を批判する一方で、誰が投票したかについて早まった結論を出さないよう求めた。
ここに、議長の椅子一つを超える問題がある。誰が約束を破ったのかを探せば探すほど、AfDを阻もうとしていた政党どうしの間に、互いへの疑いが広がっていく。壁を揺らしているのは、壁の外の勢力だけではない。壁を一緒に守ってきたはずの人々の、互いへの信頼なのである。


