仲間が「命令に従う者」に変わるとき
支配者が栄光と決定権を独占すれば、共に立ち上がった仲間は、統治を担う者から命令に従う者へと変わる。豊かさと安定は、創設時の危険を引き受けた経験も遠ざけていく。成功そのものが、自分を生んだ力を変質させるのである。
この視点は、現在も国家や組織の盛衰を考える研究に引き継がれている。歴史の長期的な変動を研究するピーター・ターチンも、協力する力の形成と喪失という観点からハルドゥーンを読み、国家や帝国、企業の盛衰へと議論を広げている。
本書第5章では、人口・移民・宗教を通じて、誰が「私たち」に含まれるのかを問い、この力を持続的な統治へつなぐ制度の重要性を論じた。今回も問うべきは、MAGAに熱意が残っているかだけではない。政権を勝たせた人々が、その政権の下でも共通の未来を生きていると感じられるかである。
国家の成功と生活の負担が分かれたとき
では、政権と有権者の関係は、どこで問われたのか。対外的な強さと暮らしの負担が接する場所である。
イランへの軍事行動を安全保障上の成果として評価する人でも、給油のたびに増える支出には不満を持ち得る。国家の成功が、自分たちの成功として受け止められなくなる。そのとき、共通の未来のために引き受けていた負担は、他者の成功のために払わされる費用へと意味を変える。車で通勤し、移動距離が長く、家計に余裕が少ない人ほど、燃料費の変化は生活の選択を狭める。
これを「有権者は目先の利益しか見ない」と片づけるべきではない。どの程度の負担が、いつまで続き、何を実現するために必要なのか。その説明と、負担を和らげる措置を求めることも、政策への判断である。共同体への帰属は、際限のない犠牲への同意ではない。
選挙後、トランプ氏はウォール・ストリート・ジャーナルの取材に、イラン戦争が共和党敗北の一因になったと認めながら、開戦の判断は後悔していないと述べた。敗因を認識することと、判断を変えることの間には距離がある。指導者が政策の正しさを確信していても、その負担を引き受ける人々の納得は別に築かなければならない。
「自分の判断は正しかった」という説明だけで、かつての支持を取り戻せるのか。運動を率いて権力を得る力と、人々の協力を得て権力を使い続ける力の違いが、ここに表れる。

