絶筆に記した“手を出さなかった理由”
しかし、それでも一線は越えなかったと東光は記している。
なぜ、彼女を池ノ端の静かな待合(今日のラブ・ホテル)あたりに連れ込んで誘惑しなかったかと言えば、彼女との会話から彼女が真面目に結婚を望んでいることがわかり、若し僕が彼女を得て結婚しても到底、僕は良き夫たり得ないとわかっていたからだ(「友鏡 わが交遊録」)。※原文ママ
結婚を望んでいる女性を毎晩夜遅くまで連れ回しておいて、しかも相手は、帝大生と暮らす下宿へ帰っていくのである。それに“俺は純情で紳士だったから手を出せなかったんだぜ”と言いたげに書いているわけである。
さらにこれを書いたのは死の2カ月前で、東光は40度近い高熱と、猛烈な下痢が続いて脱水状態で寝込んでいた(菊池達也『今東光物語』日本図書刊行会、1998年)。いや、ホントなにいってんだ……千代も、深入りしなくてよかったよ、と思うしかない。
なにせ、東光と千代が親しくしていたのは生前から知られていたうえに、東光のほうは次第に話を盛りまくっていたからだ。
今東光が瀬戸内寂聴氏にした話は「創作」
瀬戸内寂聴『わたしの宇野千代』(中央公論社、1996年)で寂聴は、東光からこんな話を聞いている。
「毎日毎日、夕方燕楽軒の帰りのお千代さんを迎えにいって、前の東大の赤門をくぐって銀杏並木の下を往ったり来たり何十回もする。その間にちゅうちゅう接吻のし通しでとうとうお千代さんの唇がこんなにはれてしまったよ」と、大きな厚い唇をまるめて突き出して見せてくださるのであった。
当然、そのことを千代にも尋ねた寂聴だったが「あれは今ちゃんの創作」ときっぱり否定されたという。ちなみに、こんなに露骨に尋ねている寂聴が出家を望んだ際、中尊寺を紹介したのは東光である。
つまり、である。
東光は、やってもいないことを、やった顔で語っていたのだ。赤門から銀杏並木を何十回も往復し、唇が腫れるまで接吻した……と、尼さんになった寂聴相手にまで、嬉々として語っている。当事者の千代は「あれは今ちゃんの創作」と一刀両断である(『わたしの宇野千代』)。
しかも、絶筆を書いたのは、高熱でうなされていた死の2カ月前である。普通なら、ひとつやふたつ本音を漏らしてもよさそうなものだ。ところが東光は、最後まで“俺は紳士だった”で通している。

