伊勢神宮の内宮には天照大神が祀られている。しかし『日本書紀』によると、もともと天照大神は歴代天皇が宮中で祀っていたという。なぜ伊勢に移動したのか。文筆家・古川順弘さんの著書『神社に秘められた古代史の謎』(宝島社新書)より、一部を紹介する――。
至高の女神を祀る「神社の中の神社」
日本各地の数ある神社のなかで、最も格式が高く、最も神聖視されてきたのは、なんといっても伊勢神宮だろう。正式名称をたんに「神宮」という伊勢神宮は、いわば「神社の中の神社」なのである。
歴史的にみても、八世紀初頭に律令制度が確立されて以降、伊勢神宮は全国に分布する神社の頂点に位置づけられ、近代に入ってもその特別な地位に揺るぎはなかった。
だが、このような伊勢神宮の特殊なありようは、決して「歴史の古さ」のみに由来しているわけではない。
もちろん、歴史は古い。しかし、伊勢神宮が特別な神社であることの所以は、ここに天皇家の祖神たる「天照大神」という至高の女神が国家的な庇護のもとに祀られつづけてきたこと、結局はこれに尽きるのである(正確に言うと、三重県伊勢市に鎮まる伊勢神宮は皇大神宮=内宮と豊受大神宮=外宮の二つから成り、このうち天照大神を祀るのは内宮で、外宮には天照大神の御饌を司る豊受大神が祀られている)。
その歴史は崇神天皇までさかのぼる
では、なぜアマテラス(天照大神)が伊勢神宮(の内宮)に祀られることになったのか。
その縁起は『日本書紀』に記されているのだが、おもしろいことに、その前半にあたる部分は、大神神社の場合と同じく三輪山の麓に宮居した第十代崇神天皇の時代が舞台となっていて、しかも大神神社の縁起譚とやや話がかぶっている。
崇神天皇五年条には疫病流行の記事があり、七年条には崇神天皇がオオモノヌシ(大物主神)の神託を授かる話にはじまる大神神社の縁起譚が書かれているが、この二条のあいだの六年条に、伊勢神宮の創祀に関わる次のような説話が記されているのだ。

