アマテラスの祟りを恐れて遠ざけた?
つまり『日本書紀』では、崇神以前の天皇は、アマテラスの神勅にもとづいて「同床共殿」で皇祖神――より正確には、皇祖神の御霊代である八咫鏡――を祀ってきたという前提になっている。
ところが崇神天皇は、一緒に祀っていたヤマトノオオクニタマとあわせてその神威のあまりの強さに恐怖を抱くようになったため、宮中から離れた場所に神々を遷祀し、皇女に奉仕させようとしたわけだ。
ここで注意したいのは、この遷祀の背景として、疫病流行とそれによる国情不穏が語られていることだ。続く崇神天皇七年条では、この災厄が三輪山のオオモノヌシの祟りであることが説明されるのだが、文脈からすれば、それが宮中に祀られていたアマテラス(とヤマトノオオクニタマ)の祟りによるものでもあったと読み取れなくもない。いや、そう読ませようとしているようにすら映る。
言い換えれば、『日本書紀』においては、パンデミックをきっかけとする大神神社縁起譚のあいまに、アマテラスのエピソードが紛れ込むようにして置かれているのである。
奈良から伊勢に向けて大移動
『古事記』の崇神天皇段をみると、同床共殿やアマテラス遷祀の話はまったく書かれていない。このことも、崇神天皇紀(『日本書紀』の崇神天皇の巻のこと。以下「~天皇紀」は同じ)のアマテラス遷祀譚が、大神神社縁起のなかに意図的に挿入されたものであることを推測させる。
皇女トヨスキイリビメによって宮外の笠縫邑に遷されたアマテラスは、その後どうなったのか。
しばらくは笠縫邑に落ち着いていたようだが、崇神天皇と同じく三輪山の麓に宮(纏向珠城宮)を営んだ第十一代垂仁天皇の時代になると、大神は伊勢に向けて移動をはじめる。これを述べる『日本書紀』垂仁天皇二十五年二月条以下の記事を、一部原文(訓み下し文)もまじえながら概説してみよう。

