『日本書紀』から浮かぶ叙事詩的光景

『日本書紀』が記すヤマトヒメによるこのアマテラス奉遷に対しては、彼女が大神の御霊代である八咫鏡を捧げ持ちながら巡幸する様がイメージされがちである。確かにそう解釈すると、この伝承はわかりやすい。しかし、『日本書紀』はそう叙述しているわけではなく、じつは奉遷伝承に鏡そのものは登場しない。

『日本書紀』は、アマテラス奉遷を記す本文に続く別伝において、「垂仁天皇はヤマトヒメを御杖みつえとしてアマテラスに奉った」と記している。

「御杖」とは、神霊の依より代しろとしての神木のことである。つまり、ヤマトヒメはアマテラスの依り代になったのであり、大神の神霊が憑よりつく巫女みこになったのだ。とするならば、伊勢への奉遷時には、仮に鏡を捧持ほうじしていたとしても、ヤマトヒメその人がアマテラスの御霊代と化していたと解することもできよう。

強烈な神霊に憑依された高貴な巫女が、神託のままに伊勢へと彷徨ほうこうをつづけてゆく――。『日本書紀』の記述からは、そんな叙事詩的な光景が浮かぶ。

この伊勢神宮縁起は史実なのか

この『日本書紀』の記述によれば、伊勢神宮(内宮)は垂仁天皇の時代に創祀されたことになる(外宮の創祀について記紀には記載がないが、平安時代初期に書かれた『止由気宮とゆけぐう儀式帳』によれば、第二十一代雄略ゆうりゃく天皇の時代の創祀だという)。

平成25年の式年遷宮に建てられた伊勢神宮内宮の正殿
平成25年の式年遷宮に建てられた伊勢神宮内宮の正殿(写真=Ocdp/CC-Zero/Wikimedia Commons)

本書の第1章で三輪山北西麓の纒向まきむく遺跡を崇神・垂仁・景行けいこうの王都と推定してみたが、この推定に立つなら、垂仁天皇の時代は、三世紀はじめから四世紀はじめという纏向遺跡の年代にあたることになる。大まかには、三世紀代が中心ということになろうか。