安楽死と自死の違いはなにか。哲学者で倫理学者の平尾昌宏さんは「倫理とは、よく生きるための議論であり、自死は倫理そのものの否定だ。一方、安楽死は最期までよく生きるための模索である」という――。

※本稿は、平尾昌宏『ふだんづかいの生命倫理学 生と死はどこまでコントロールしていいの?』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

人工呼吸器をつけて眠る患者
写真=iStock.com/Wavebreakmedia
※写真はイメージです

「安楽死」には3つの種類がある

安楽死に関するイメージは人によって違います(だから議論がすれ違ってしまう)。実際、ナチスによる障害者の殺害なども「安楽死」と呼ばれることさえあるくらいです。そういう場合を指すために「非自発的安楽死」なんていう言葉が使われることもあります。

だけど、それはちょっと言葉を広げすぎに思えるので、本稿では、安楽死は基本的に患者の意志によるものでなければならないだろうと考えます。つまり、安楽死=自発的安楽死と見るわけです。

これだけでも結構ややこしいんだけど、実を言うと、安楽死をもっとややこしくすることが教科書に書いてある場合があります。安楽死にも3つの種類があるというのです。積極的安楽死、消極的安楽死、間接的安楽死です。

積極的安楽死と消極的安楽死は、言葉の上でも対になっているのが分かりますが、そこに「間接的」っていうのが乱入してきているので、ちょっと分かりにくい。なので、学校の試験なんかでは意地の悪い問題を作る材料にされたりします。

消極的安楽死はひんぱんに行われている

我々が一般に「安楽死」と言っているのは、積極的安楽死に当たります。もちろん安楽死である以上は苦痛を取るのが目的。

だけど、そのための手段として、あえて死を早めるという処置をとるわけで、そこが「積極的」と言われるゆえんです。本稿で安楽死と呼んでいるのも、基本はこれです。

一方、消極的安楽死というのは、積極的な手段を何もとらないことです。治療を行うとそれで命が延びる可能性が高い。そうなったら、苦痛がよけいに長引くことになりかねない。だから、治療もしない。これが消極的安楽死です。

これが安楽死と呼ばれるのは、この場合も目的は苦痛を減らすことだからです。わりあいよく使われる言葉で言えば、治療中止と呼んでもいいです。

これも安楽死の仲間だとすると、(意外に思う人がいるかもしれませんが)日本でも安楽死はかなりひんぱんに行われていると言えます。

目指すのは、あくまで苦痛を取ること

で、間接的安楽死です。苦痛を取るための一般的な手段は鎮痛剤を使うことだけど、鎮痛剤を使いすぎると(例えばモルヒネなんかは麻薬だし劇薬なので)死に至ることもあります。

そこで、「このまま大量に薬を使うとひょっとすると死んじゃうかも」という心配はあるけど、それでも他に手段がないから薬を使う……。これも目的は苦痛を取ることです。だから安楽死と言う。

だけど、積極的安楽死とは違って、死を早めることを意図しているわけではありません。目指すのはあくまで苦痛を取ることで、そのための手段として薬を使う。ただ、結果としてそれが死を早めることになる。だから間接的と呼ばれるわけです。