日本ではなぜ安楽死が認められないのか。哲学者で倫理学者の平尾昌宏さんは「安楽死は法的にグレーな状態にある。法律を整備すれば患者の意思を尊重しやすくなるが、一方で弱い立場の人が死を選ばされる社会につながる懸念もある」という――。

※本稿は、平尾昌宏『ふだんづかいの生命倫理学 生と死はどこまでコントロールしていいの?』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

注射器を持つ医師
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「法律」はローカルなルールである

「外国で認められている安楽死が、なぜ日本では禁止されているのか」という疑問。これは法律の問題で、本稿で考えているのは倫理的な問題なので、スルーしてもいいかもしれないけど、疑問に思う人も多いので、倫理・道徳との関連で少しだけ。

法律の大きな特徴として、(1)手続きで決める、(2)文書化されている、(3)罰則がある、といったことがあり、逆に、道徳・倫理は(1')手続きで決めたものではない、(2')文書にはなっていない、(3')罰則はないのが特徴。

いや、もしこれだけだとちょっと不安になってきますが。だけど、ここで重要なのは、(4)法律はある集団内でのものであるのに対して、(4')道徳・倫理の基本原理はより普遍的なものだという点です。

例えば、「さあルールを作ろう!」と言っても、全世界みんなで多数決なんていうのは無理でしょう?

イギリスでは「国会で鎧を着てはいけない」

例えば日本なら日本という国のなかで、「これは決めておかないと困る」というのをルールにする。これが法律。国でなくても、地方自治体が条例を決めるのも同じ。

それぞれの国や地方にはそれぞれに事情があり歴史がある。それに合わせて作るから、法は基本的にローカルなものなのです。

外国の法律で奇妙に思えるものがあるのもそのためです(例えば、イギリスでは「国会に鎧よろいを着てきてはいけない」という法律があるそうです)。その法律ができた地方、時代にはそれなりに意味があっても、違う時代、違う文化から見れば、「ナニコレ?」ってことになるのが法律なのです。

だから、「外国で認められているのに日本ではなぜ?」という疑問に対する答えは簡単。国によって事情や歴史が違うから法律が違っていても当然、よくあることなんですよ、ということになります。