倫理は「よく生きるとは何か」から始まった
いちおう念のために言えば、「自殺なんかしたら身近な人が悲しむよ」が間違いだと言っているのではありません。そういう場合は多いと思います。また、「せっかくもらった命なのだから」が成り立つ場合もあるでしょう。
だけど、これらの理由だけで「すべての人間は自殺を禁じられている」と言えるかというと、心もとないと思います。
ただ、次のように言うことができます。倫理の問題っていうのは「よく生きるとは何か」というソクラテスの問いから始まりました。その「よく生きる」で大事なのは「よく」の部分です。
その「よく」とは何か、あるいは「よい(善)」とは何か、それは倫理学の最も大事な問いです。だけどそれは、「生きる」があってのこと。「生きる」があって、その上で「よい」とか「悪い」があるわけです。
そして、こうした倫理の基礎の基礎、生きることそのものを否定しようとするのが自殺です。だから自殺は、倫理的に「よい/悪い」以前に、倫理そのものの否定なのです。
そういう意味で「自殺は倫理的にダメ」とは言えますが、それは倫理の枠内で「悪い」からダメというのとはちょっと違うわけです。自殺はある意味で倫理を超えています。
「安楽死」は死ぬことが目的ではない
こうして自殺について考えると、安楽死についてもまたちょっと分かるところが出てきます。安楽死は、見かけ上は「死」に関わりますし、言葉として「死」というのが入っているけど、死ぬことが目的ではありませんでした。
つまり安楽死というのは、死に方の問題ではないのです。それはむしろ、「よく生きる」ことの一環としてあるということです。だとすれば、自殺は倫理の範疇外なのに対して、安楽死は倫理の範疇内。
もう1つ、講義では話そうかどうかいつも迷うのですが、哲学者の須原一秀さんが残した、『自死という生き方』(→参考文献:須原一秀※1)という本があります(須原さんは実は、私が担当している講義の前任者でした)。
須原さん本人が自殺されていることにショックを受ける人もいるかもしれないので閲覧注意ですが、興味深い本ではあります。こういう本があるという紹介だけしておきます。
※1 須原一秀『自死という生き方―覚悟して逝った哲学者』双葉社、2008年。
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