毎日50銭銀貨を置いていった名編集長
当時を思えば、要は中央公論社の社員や出入りする文士、さらに帝大生たちが「燕楽軒にすごい美しい給仕が‼」「しかもずっとツンツンしててデレないんだ」「なんだとぉ〜」と押し寄せたのは想像に難くない。いや、実際、筆者は明治大正の全国各地の郷土資料を見ているが、この時代の男性は“美人がいる”という評判を聞けば、すぐに駆けつけるもの。
“どこそこの店に美人の店員がいて店が繁盛した”なんて話に限らない。評判の娘がいて、その家が見える甘味屋が常に男性客で満員だった、なんて逸話はざらにあるものだ……おそらくは、懐の寂しい文士や学生は「ライスひとつください」で長時間ねばる。あるいは出待ちを繰り返したんだろう。
そんな中でも別格だったのは滝田である。なんといっても、当時評判の雑誌『中央公論』の編集長。ゆえに懐も温かい、毎日、そそくさと食事をしては必ず50銭銀貨のチップをおいていったのである。現代の感覚でいえば、2000〜3000円くらいを毎日チップとして置いていくのである。これで給仕に自分を意識させて、文士たちを相手に優越感にひたろうとしていたのかもしれない。
対する千代は、まったく滝田を意識していない。いや、意識しているのは滝田の置いていく50銭銀貨だけである。
のちの作家・僧侶、今東光の本気の恋
そんなわけだから、千代は9円の金が貯まったら、途端に店をやめてしまったと書いている(『私の文学的回想記』)。盛り上がる男たちに対して、千代のほうはといえば生活のことで手一杯だったのである。
しかし‼ そんな単にお祭りムードで騒ぐのではなく、本気で千代に恋している男がいた。今東光……後に、作家・僧侶として人気を集める男性である。
どれくらい本気の恋だったか……1977年に亡くなった東光の絶筆は『週刊読売』1977年7月30日に掲載された連載「友鏡 わが交遊録」の第30回、取り上げている人物は宇野千代である。そんな偶然とは思えない絶筆の随筆で、東光は千代との出会いをこう記している。

