地元メディアも企画・運営に加わる講座の中で
関係者によると、浦島氏は事故から約1カ月後の4月18日、沖縄県の日刊紙「琉球新報社」などが企画・運営する講座「沖縄戦の記憶継承プロジェクト 戦争をしない/させないために」で、参加者を前に講演した。
浦島氏は講座の勉強会で「私たちは学校やご遺族に謝罪の申し入れをしているが、実現していない中でいろいろなことに追われている」と述べ、「皆さんから励ましをたくさんいただいている。それを励みにこの苦境を乗り越えていきたい」と語った。
3月16日の事故当日については「実は修学旅行の生徒たちが海に出るというのは知らなかった」と振り返り、「海上チームにお任せしていた」と釈明した。
事故当日、現場海域には波浪注意報が発表されており、「明らかに白波が立ち、危ない状態」(捜査関係者)だった。事故で抗議船「平和丸」に乗っていた知華さんと「不屈」の船長、金井創さんが死亡し、生徒12人と乗組員2人の計人が負傷した。
反対協も企画・運営者も取材を拒否
浦島氏は勉強会で「波浪注意報が出ているから出航してはいけないということはない」との認識を示し、「冬場はずっと(波浪注意報が)毎日出ている。2、3カ月の中で出ない日が1日か2日」と指摘した。
しかし、沖縄気象台によると、令和8年2月に波浪注意報(警報含む)が出ていた期間は28日中15日間、3月は31日中20日間で、浦島氏の説明とは異なっていた。
浦島氏は「(事故)当日はとても穏やかだったという『うみんちゅ』(沖縄方言で海の人=漁業関係者を指す)の証言もある。荒れた海に出たというのは間違いだが、それがすごく流布されている」と懸念した。
また、産経新聞や「右派的な週刊誌」が「ちょっとしたことに尾ひれをつけて、違う方向に持っていって報道している」と批判。勉強会の参加者に対し、「そういう報道に接したときには、うのみにするのではなく、考えてほしい」とも呼びかけた。
浦島氏の発言について、反対協の幹部は「まったく分からない話なので取材に応じられない」とした。浦島氏の携帯電話にも複数回かけたが、電話に出なかった。
講座は「第32軍司令部壕の保存・公開を求める会」と琉球新報社で構成する実行委員会が企画・運営。同社は取材に「受講費を納めた受講生らが参加する閉じた勉強会であり、その中での内容についてはお答えは差し控える」とした。

