非世襲議員の大変さ
看板(知名度)は世襲候補に比べて圧倒的に劣る。
世襲候補なら、父親などの名前を言うだけで、選挙区の人に認識してもらえる。たたき上げの候補者は、自らの略歴・来歴から始まり、この選挙区にいかに必要な人物であるかを説明しなければならない。簗氏の場合、東京都出身の落下傘候補だった。彼の発言も、行き過ぎた形で行われたものだろう。同情できるところがないわけではない。
カバン(資金力)も、世襲候補が圧倒的に有利である。現職の後援会組織をそのまま受け継ぐので、引き継いだ資産が十分ではなかったとしても、後援会のメンバーが融資先を紹介してくれる。中央官庁を40代に辞めて衆議院議員になった人に30年ほど前に聞いたところでは、立候補を決断した時点で選挙のプロと言われる人に退職金のすべて(2000万円)を預ける。それは2~3週間しか持たないので、すぐに数千万円の融資を受ける。選挙に受かればよいが、受からなければ多額の借金を背負うことになる。
こうした悪条件を克服して当選したたたき上げの候補者は、当選後もいろいろな面で無理をしなければならなくなる。これに対して、世襲議員は余裕がある。あえてきわどい橋を渡る必要はない。不祥事による辞職という可能性は少ない。
たたき上げの簗氏に懲りた高市首相は、世襲の武部氏を選んだのではないだろうか? 今回は周囲からの助言も聞いたのかもしれない。
かつては素人でも務まった農水大臣
武部氏は自民党農林部会長、農林水産副大臣も経験した農林族議員である。
かつて、総理大臣は各省大臣に族議員以外の素人を任命することがあった。組閣のとき誰が自分の省の大臣になるのか、役人には予想できなかった。意外な人物が農林水産大臣となることがあった。三木内閣の安倍晋太郎氏、大石武一氏、中曽根・羽田内閣の加藤六月氏、橋本・小泉内閣の島村宜伸氏などの人たちである。加藤六月氏は農政には全く門外漢の運輸族議員だったし、島村宜伸氏は農業とは縁のない東京都の出身だった。
これには、いくつかの理由があった。官僚機構がしっかりしていれば、大臣は素人でも構わない。今の赤澤経産大臣とは異なり、当時は大臣が他国の大臣と交渉でやりあうような事態は想定されなかった〔例外は、200海里水域設定(※)時の鈴木善幸農相(水産族議員の代表格)とイシコフソ連漁業相との日ソ漁業協定交渉など〕。
大臣が所管行政や業界の内実に詳しい玄人でない方が、総理大臣にとっては各省庁や所管業界に直接影響力を行使することができて好都合だった。
当時は、国会の質疑応答も簡単だった。コメ政策の場合、もっともよく聞かれる質問は「食管制度の根幹を堅持すべきだと思うが、大臣の考えはどうか?」というもので、これに対しては「今後も食管制度の根幹を堅持いたします」と答弁すれば、終わりだった。
ところが、あるとき「食管制度の根幹とは何か?」という想定外の質問が出た。これに対して、用意された答弁はなかった。これに対する答えを持たずに、農林大臣に「食管制度の根幹を堅持いたします」と答弁させていたのである。急遽、食糧庁の幹部たちが答弁作成のために時間をかけて議論を始めたことを思い出す。今から思い返すと牧歌的な時代だった。
※ 1970年代後半以降、「海洋自由の原則(海は誰のものでもない)」から、沿岸国による管理・支配へと国際法および国際社会のルールが大きく変化した時代のこと。世界各国が沿岸から200海里(約370.4km)の範囲内を「排他的経済水域(EEZ)」や「漁業専管水域」として設定し、水産資源や海底資源に対する沿岸国の排他的な管理権を認める国際的な潮流が定着した

