信長が尾張統一を果たした頃の記録
坪内利定に対して、信長は9月3日に領国における鉄炮による鹿・鳥猟を認める特権を与えている。信長はそれより以前の2月22日に、犬山城を攻略して尾張一統を達成していた(横山前掲書)。坪内家はもとは犬山織田家家臣とみられ、同家滅亡後に信長家臣になったと推測される(谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』)。
秀吉判物の翌日付で、信長は坪内惣兵衛尉・同玄蕃尉(勝定、惣兵衛尉の子、1516~1609)・同喜太郞(利定、勝定の子、1539~1610)の親子三代に、尾張下野以下678貫文の所領を保証および給与し、さらに同日にそれとは別に300貫文の所領を与えている。
秀吉は、信長から坪内への所領の保証および給与を取り次いでいた。これは秀吉が、信長の馬廻衆に所属し、有力な側近家臣になっていたことを示している。そのことからこの時点で、秀吉の所領は、数百貫文規模であったと推定される。
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