米国のやり方をそのまま信じる危うさ

【岩尾】おっしゃるとおりで、私がずっと考えてきたのも、日本から「経営」が失われ、代わりに「管理」が蔓延はびこっているということです。本来、経営とは「みんなで豊かになる」という理念から生まれたものです。「経営」の語源は3000年前の周の文王による徳治政治にある。にもかかわらず当初の「徳」が失われ、人を道具のように扱う「管理」の面だけが経営だと見なされています。

このような「名ばかり管理原理主義」は、経営学者のような専門家が「これこそが最先端のアメリカ流」として輸入、助長してきたものだと考えています。経営学を教えているように見えながら、実際は「管理学」を日本社会に広げてきた側面があったのではないかと。

【内田】日本人は「アメリカ発祥」と聞くと十分な検証もせず、日本のシステムに合わないものでも無批判に取り込む傾向があります。政治家も学者もメディアも、「日本とアメリカの国益は完全に一致している」というありえない前提を採用している。たしかに、アメリカは超覇権国ですから、その政治的影響力は圧倒的です。

米国の旗と金融街
写真=iStock.com/cirano83
※写真はイメージです

背景が違う国のやり方は日本に合わない

【内田】でも、アメリカは「自国の国益の最大化」を第一に考えて行動している。別に日本の国益のことなんか配慮していません。国際社会の公共的な利益のためという大義名分を掲げるのも、それが自国の利益になるときだけです。日本の知識人の多くはローカルルールにすぎないアメリカの基準を日本にも無理やり適用して、日本社会の劣化に無意識に協力しているように僕には見えます。

【岩尾】アメリカは、宗教弾圧から逃れたピューリタンを中心に、移民が集まってできた人工的で特殊な国家です。国民は無数のエスニックグループに分かれ、さまざまな思想や人種が集まる。だからこそ、バラバラな個人の集合でも成果が出る「管理」手法が社会からも求められ、独自に発展を遂げてきたのではないでしょうか。

代表的な例が、アメリカのお家芸であるパソコンの製造・管理の手法です。記憶装置やディスプレイ、CPUなど、部品と機能を一対一で対応させたユニットごとに設計・生産する「モジュラー型」と呼ばれる設計思想をもちます。各ユニットに天才的な開発者がいれば、全体として大きなアウトプットが生まれる仕組みですね。