※本稿は、垂秀夫『「力の時代」を生き抜く 戦略的思考』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。
武力に訴えたトランプ政権の衝撃
2026年の年明け早々、米国のトランプ大統領はベネズエラへの軍事介入に踏み切り、マドゥロ大統領夫妻を拘束してニューヨークに移送した。
米政府は表向き、麻薬犯罪対策という法執行上の理由を掲げたが、主権国家に対する武力行使という事件は、国際社会に少なからぬ衝撃を与えた。さらに同年2月末には、米国とイスラエルによるイランへの軍事行動が行われ、最高指導者アリー・ハーメネイー師が殺害される事態となり、中東情勢は一気に緊張を高めた。
これら一連の出来事は、国際秩序の擁護者を自任してきた米国自身が、主権国家への武力行使をめぐる従来のルールを、自ら揺るがし始めていることを示している。もちろん、これは米国だけの問題ではない。むしろ、国際政治全体において、力と利益を優先する行動が再び前面に出始めていることの表れである。
このことは、ロシアによるウクライナ侵攻を非難してきた米国をはじめとする西側先進国の立場を相対化し、中国による台湾への軍事的圧力にも微妙な影響を与えかねない。国際政治が依拠してきた規範やルールは、いま急速に後景に退き、「力及び威嚇による現状変更は許さない」という原則は、抑止として効きにくくなり始めている。
アメリカだけに頼れなくなった日本
国際法や国連憲章がただちに消えるわけではないが、それを実効ある抑止として機能させる条件は確実に弱まりつつある。ここで起きているのは、無秩序化そのものではない。秩序を設計・維持し、違反者にコストを負わせてきた“担い手”の後退である。
「ポスト・パックス・アメリカーナ」とは、まさにこの意味である。
こうした大きな地殻変動の中で、日本は何を守り、いかなる戦略を描くべきかという問いが、これまで以上に切実になっている。守るべきは抽象的な平和ではない。国家としての安全、主権、繁栄、そして国際社会における発言力と尊敬である。
そのために、日本は何を優先し、何を捨て、どの時間軸で準備を進めるのか。戦略とは、その設計図にほかならない。昨今の米国の行動は、2025年末に公表された米国の国家安全保障戦略(NSS)と重ねて読むと、一つの明確な方向性が浮かび上がる。

