世界の警察官をやめたのはオバマ政権
早くは民主党オバマ政権が「米国は世界の警察官ではない」という姿勢を明確に打ち出し、他国への軍事介入を抑制し、同盟国との協調や紛争の抑止に軸足を置く外交政策へと転換を図った。これは、イラク戦争やアフガニスタン戦争で疲弊した米国の財政状況や国民の内向き志向を背景としたものであった。
対外介入に伴う人的・財政的負担に対し、米国内で見返りがないという感情が強まったのである。こうした流れをさらに明確に強め、アメリカ・ファーストを掲げて大統領選を勝ち抜いたのがトランプ大統領である。
つまり、現在米国で起きている変化が、必ずしも一人の大統領の個性に還元できないということであれば、これは見逃してはならない構造的な変化である。
長期にわたる対外介入への疲弊、国内政治の分極化、経済格差への不満、移民問題への反発といった構造的要因が、米国社会全体を内向きにしている。国際秩序の維持は道義によるのではなくコストであり、その負担に見合う利益が見えなければ、民主政治は耐えられない。
昨年末に発表された国家安全保障戦略における内向き志向、気候変動分野を含む数十の国際機関・国際枠組みからの離脱、度重なる同盟国に対する防衛負担の増加要求――これらはすべて、米国がモンロー主義に立ち、「世界の警察官」として振る舞うことを本気で放棄することを示唆している。ここでいうモンロー主義は、単なる歴史的標語ではない。
「やったもん勝ち」が通用する恐ろしさ
西半球における勢力圏を再確認し、他地域への関与を相対的に薄めるという地政学的発想である。トランプ大統領はこれを「ドンロー主義」と名付けた。この変化は、パックス・アメリカーナの終焉を強く示唆する。
トランプ大統領以前の米国は、理念と利害の矛盾を抱えながらも、民主、人権、法の支配という普遍的価値を擁護する姿勢そのものは否定していなかった。しかしトランプ大統領は、こうした価値や理念にほとんど関心を示していない。
これは、秩序が完全に崩壊したわけではないが、その設計者が不在となりつつあることを示している。国際社会は、秩序の設計者なき時代に足を踏み入れたのである。設計者が不在であることの意味は重い。規範の力は、違反者にコストを課す意思と能力によって支えられる。
秩序の担い手が後退すれば、違反者は「違反しても何とかなる」と学習する。こうして国際政治は、道徳の敗北というよりは、学習と模倣によって、力の論理へと引き戻されていく。秩序が崩れたのではない。支える手が緩み、力の現実がむき出しになったのである。
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