力と力でせめぎ合う戦国時代。黒田官兵衛は並外れた智謀で世を動かした。彼の知略、奇策、説得術から現代のビジネスマンは何を学ぶべきか。官兵衛通の、東京電力取締役会長 數土文夫氏、企業再生請負人 冨山和彦氏、京都造形芸術大学教授 松平定知氏が語る。
【松平】まず、お二人は黒田官兵衛という人間をどのように捉えているのかというところからお話をおうかがいいたします。
【數土】官兵衛には昔からずっと注目していました。日本の歴史上のリーダーは、みな古典に精通しています。
官兵衛も『孫子』『論語』『戦国策』などの中国古典を読み込んでいたのは間違いありません。彼が優れているのはそういうものを知っているだけでなく、それらのインフォメーションを、現場を見たり人に会いにいったりして自分で確かめ、実体のあるインテリジェンスに変えていったところにあります。
さらに、経済にも明るく、土木の知識も持っていました。そういう意味でいえば、諸葛亮孔明と非常によく似ているといえます。官兵衛は、高松城を水攻めにする際、明らかに梅雨時ということを計算して行っていますが、これも赤壁の戦いのとき、辰巳(東南の風)の吹くときを待って火攻めをした孔明に近いといえます。だから、舞台が大きければ、もっとすごい仕事ができていたはずです。
【冨山】私は、黒田官兵衛には青春時代に出会いました。司馬遼太郎の『国盗り物語』です。私たちの高校時代は演劇が盛んで、そのうちのいくつかの話を組み合わせて芝居をつくったのです。黒田官兵衛役のシイナ君はいまどこかの大学で経済学部の教授をやっています(笑)。
私は脚本担当だったので、どの人物がどんな人間なのか、一生懸命本を読んで考えました。官兵衛は、ひと言で言えば、おしゃれで格好いい人です。いま數土さんが言われたことに加え、権力との距離の取り方が、私はすごくおしゃれだと思いました。彼はたいへんな参謀ですが、司令官としての能力も猛烈に高かった。まさにオールマイティです。ところが、自分が権力者になることに関しては、どうも渇望感が感じられない。信長や秀吉や家康は最高権力者の道に向かってガーッと一直線に突き進んでいくのに、そういう人たちと官兵衛はどこか雰囲気が違います。そういうところが、当時の頭でっかちの高校生には、おしゃれで格好よく見えたのです。
【松平】私も官兵衛が一番好きな武将です。彼は優れたナンバー2でしたが、秀吉なきあとはナンバーワンをとも思ったこと。彼の卓越した先見力は「関ヶ原」は家康が勝つと見る。しかし、両軍の合計兵力を見ると決着まで2カ月くらいはかかるだろうから、その間、九州・四国・中国を抑えて勝つには勝ったが、疲労困憊の家康と日本一をかけて優勝決定戦をと思った。男の心のありようとして共感できます。しかし、あろうことか「関ヶ原」は半日で終わってしまった。誰もが予測不能のことでした。
それで彼はすっぱり天下の夢は諦めるのですが、その意味では「運」はあまりよくなかった。信長や家康が、そのデビューが小なりとはいえ独立勢力の主だったのに対して、官兵衛は小寺政職という中間管理職の下の城代家老で常にそのしがらみがついてまわったのもそうだし、信じていた荒木村重には裏切られるし、その説得に向かったら逆に幽閉されてしまったりと、結構失敗もあったりする。毛利から信長への主君がえの決断や本能寺後の彼の行動は実に見事でしたが、でも、トータルとして見ると彼は近寄りがたいスーパースターではない。案外、普通のおっさんだったりするところに私は親しみを感じます。