力と力でせめぎ合う戦国時代。黒田官兵衛は並外れた智謀で世を動かした。彼の知略、奇策、説得術から現代のビジネスマンは何を学ぶべきか。官兵衛通の、東京電力取締役会長 數土文夫氏、企業再生請負人 冨山和彦氏、京都造形芸術大学教授 松平定知氏が語る。
並外れた知略を磨くための勉強法
【松平】竹中半兵衛と黒田官兵衛は、ともに相手のことを認め合っていました。官兵衛が荒木村重を訪れ、音信不通になったとき、信長は官兵衛が裏切ったと決めつけ、官兵衛の息子、松寿丸を殺せと命じたにもかかわらず、半兵衛はその命令に背いて匿った。官兵衛は裏切るような男ではないと信じていたからです。
そんな2人の関係ですが、しかし軍師としては2人は全然違うタイプです。先ほど數土さんは、官兵衛は諸葛亮孔明に似ていると言われましたが、私はどちらかというと、自分の策がうまくいくかどうかということだけに美学を感じている芸術家肌の半兵衛が孔明だと思うのですが。
官兵衛はむしろ魏から西晋に移り権力を握った司馬懿仲達だと言う人もいます。
【數土】彼は司馬懿仲達とは違います。それは、官兵衛はクリスチャンだからです。野心がある人間がキリスト教に帰依しないでしょう。だから孔明に近いのです。それに、孔明には潔癖すぎるという欠点があった。後主劉禅にも、「あなたの読むのは論語や孫子ではなく韓非子だ」と奏上しています。官兵衛にも韓非子的なところは感じられません。
【松平】官兵衛がキリスト教に入信したのは、一説には1583年といわれていますが、正確には不明です。はっきりしているのは、87年に秀吉によって伴天連追放令が出されたとき、同じクリスチャンの高山右近は抵抗して財産と領地を失いましたが、官兵衛はすぐに棄教したという事実。これはどうしてでしょう。
【冨山】それよりも、黒田官兵衛のような自分の知性に自信のあるインテリのお化けが、高山右近的な意味でキリスト教に帰依したところに、私は疑問を感じます。彼のようなタイプにとっては自分の知性が神なので、死後に全知全能の神が現れるという一神教の世界観は、それほど腹に落ちていなかったはずです。ただ、教養人の彼は、西洋の文明とキリスト教的な哲学や考え方は表裏一体の関係にあるということはわかっていた。つまり西洋を理解する一環として入信したのではないでしょうか。
伴天連追放令が出されてすぐに棄教したのは、その時点で、すでにキリスト教から吸収できるものはそれほど残っていなかったからだと思います。ただ、彼の晩年のダンディズムには、キリスト教的な個人主義の影響が感じられるので、そういう意味では、棄教後も彼のなかには、キリスト教的なものが生き続けていたという言い方もできないこともありません。
【松平】高山右近のような純粋な信仰としてではなく、西洋に対する興味や好奇心が先にあってキリスト教に近づいたという解釈ですね。
【數土】「世の中で信長というのが有名になっている。俺の目で見て判断しよう」「クリスチャン、外国人だ。俺の目で見よう」。たしかに官兵衛には、そういうところがあります。