勝負は時の運というけれど、官兵衛はなぜ負けなかったのか。傑出した参謀の手法を丸裸にする。
どうやって信長に抜擢されたか
幽閉された官兵衛が自分を裏切ったと思い、人質の長政殺害を命じた織田信長(1534~1582年)。(amanaimages=写真)
黒田官兵衛と織田信長が岐阜城で初めて顔を合わせたとき、お互いに、「まったく同じことを考えている人間がここにいた!」と、驚きとともに感じ合うものがあったのではないか――安部龍太郎さんはそう確信している。
「西は毛利、東は織田の2大勢力に挟まれた当時の播磨には、大大名がおらず、中小の豪族たちの分立状態。小寺家も今後天下を取るのは誰か選択に迷います。毛利か、織田か、それとも三好党か。やはり毛利だろうという雰囲気が多数を占めるなか、ひとり家老の官兵衛が『いや、そうじゃない。次は織田の時代だ』と信長に帰順すべきだと周りを説得します。
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