官兵衛は秀吉のどんな能力を認めていたのか。

「戦をするにしても、軍事衝突だけでなく、経済戦争で相手に勝つような戦略を構築できる才覚を秀吉は持っていますし、人の使い方の巧さも抜きん出ていました。

官兵衛が自分にはないと思ったのは、そのたくましいギラギラした生命力。金と出世と女が、欲しくて欲しくてしょうがない。でも、手に入れると気前よく人に与えたりする愛嬌もある。それがまた、秀吉の信望を集めるのですが、ちょっとえげつない。官兵衛は都会的なセンスの持ち主ですから(すごいな)と思いながらも(あれじゃあな)と感じていたのではないでしょうか。

秀吉に対しては常に一歩下がって『その通りです』、と秀吉を立てながら、泳がせていたのだと思います。でも、秀吉が2日先のことを考えていたとしたら、官兵衛は3日先のことを考えて、あそこに握り飯を用意しなくては、あそこに船の準備をしておこう、というように常に秀吉の一歩先回りをして、準備を怠らない。それも汗だくになって必死にやるのではなく、手柄顔もせず、ごく当たり前にさらりとやっていた。頭の回転が尋常ではなかったのでしょう」

官兵衛は調略の達人でもあった。調略に欠かせなかったのが教養だ。

「戦国時代は、家を守るために、勝ちそうなほうに付くのが常識でした。実際に戦で血を流す前に、現実的かつ合理的に相手と交渉する。官兵衛はこれが上手で、相手の心理を読み、手を結ぶためには、どこからどう攻めればよいのかを瞬時に見究めて、納得させてしまう。弁説にも長けていたでしょう」

戦国武将にもかかわらず、官兵衛には血なまぐさい臭いがあまりしないのは、そのせいかもしれない。

「官兵衛はよく、文武両道、車の両輪のように文も武も備えていなくてはだめだと言っています。武だけでは、征服することはできても治めることはできない。人を動かすのは文の力だと。文とは、いわば教養です。

官兵衛は、兵法、四書五経といった中国古典にも通じています。交渉の局面でも、現実的な目先の利益だけでなく、仁義礼智信といった、人の道徳心に訴えかける話し方もできた。人間はこう生きるべき、大義とはこういうものだ、孔子はこう言っている、というような説得技術をたくさん持っていたのでしょう。人間的な大きさ、あるいは深さみたいなものが、人を動かす大きな力だというのをよく知っていたのだと思います。同じことを言っても、誰がおまえのことなんか信用するか、というタイプの人もいますからね。

おそらく官兵衛自身に欲がなく、目先の利益をあまり考えていない。高い目線からずっと遠くを眺めていろんなことを考えているタイプなのです。

人を動かすには、人間的な魅力も大きいのですが、その人の戦う目的や目指す理想はなにかということも重要です。官兵衛は信長の新しい国づくりという理想に共感できた。大きな心の繋がりがあったのでしょう」

官兵衛の卓越した情報収集力と分析力は、キリシタンネットワークの存在も大きかったと安部さんは見ている。キリスト教に入信した時期については諸説あるが、有岡城に1年近く、幽閉された経験が信仰を深いものにしたと安部さんは推測する。