キリシタンという教養

「それまでは、それほど深い信仰ではなかったと思うのです。しかし、独房では向き合うものは心しかありません。思考を深めるうちに、信仰は次第に堅固なものになっていったのでしょう。逆にいえば、信仰の真実というか、牢の中で神の声を聞いたことが、地獄のような10カ月を耐え抜く原動力になった」

信仰者として、よりよくありたいと、立ち居振る舞いも変化したはずだ。当時のキリスト教は、単なる宗教ではない。

「宣教師は天文学、土木工学、造船技術、数学、哲学と日本人が知らなかった学問や技術をもたらした一流の知識人、教養人です。地球が丸いことを教えてくれ、しかも、その地球の反対側から船でやってきたという。それはもう衝撃だったはず。

彼らへの尊敬と繋がりたいという思い。彼らが信じている宗教ならきっとすごいに違いない、という憧れもあったでしょう。教養のある人ほどキリシタンになっています。しかも、洗礼の親子関係を軸にしたヒエラルキーは絶対的なものでした」

洗礼を受けた子は洗礼親(ゴッドファザー)の言うことに逆らえない。官兵衛はキリシタン大名のほぼトップの位置にある。ビジネス的にいえば、官兵衛は、チャンネルの違うネットワークを持っていたのだ。信長が驚くわけである。

「信長が殺されて、秀吉を担いで天下を取りにいったわけですが、当然、キリシタン大名も動いています。山崎の戦いでは高山右近と中川清秀というキリシタンのツートップが先陣ですし、明智光秀が頼みにしていたのに動かなかった細川家も、キリシタンだったからと考えています。おそらく筒井順慶もそうでしょう。そうやって見ると、山崎の戦いは、秀吉&官兵衛率いるキリシタン大名連合なのです」

秀吉は天下を取ったあと、官兵衛と距離を置くようになる。そして、朝鮮出兵をはじめとする暴走を始める。距離を置いたのは、官兵衛に乗り回されていたことに秀吉が気づいたからではないか、と安部さんは読む。

「官兵衛がなぜ自分に天下を取らせたのか、秀吉は考えたのでしょう。そして、官兵衛が信じているものは、キリシタンの教えだけだ、という結論にたどり着いた。

秀吉には新しい国の思想・ビジョンはありませんでした。信長は天皇を自分の下に組み敷くような形で、新しい中央集権的な国をつくろうとしていたわけですが、秀吉は信長の路線を継承すると言いながら、やったことは王政復古のようなもの。関白になり、朝廷の権威を崇めて、その権威のもとに大名たちを従える統治方法をとったわけです。それは信長、そして官兵衛が目指していたものとは180度違うものだったのです」

安部龍太郎
1955年、福岡県八女市生まれ。久留米高専卒業後、区役所、図書館に勤務。2013年『等伯』で第148回直木賞受賞。黒田官兵衛を描いた作品に、日本史最大の謎、関ヶ原の合戦に新しい解釈で挑んだ歴史小説『風の如く水の如く』がある。
(若杉憲司=撮影 amanaimages=写真)
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