なぜ秀吉は官兵衛を恐れたか
【數土】私は、彼に天下とりの野心があったとは思っていません。名誉欲や権力欲や金銭欲があったら、正常な感覚が揺らぐし、上にも必ず見透かされるので、軍師は務まらないでしょう。越王勾践(こうせん)に仕えた范蠡(はんれい)は、引退後商人になっているし、劉邦の軍師だった張良は仙人になっています。直江兼続にしても孔明にしても、私欲はまるでありませんでした。それで初めて迷いなき決断ができるのです。
【松平】でも、あるとき秀吉が家臣たちに「自分が死んだら、次に天下をとるのは誰か」と尋ねると、家康や前田利家といった名前が口々に挙がったが、秀吉は、「それは官兵衛だ」と言い放った。その場にいなかった官兵衛はそれを伝え聞いて、さっさと家督を息子に譲り隠居しました。疑心暗鬼はリーダーの常とはいえ、秀吉にそう思わせるような気持ちが、官兵衛には少なからずあったというのが私の推論です。
【冨山】自分もやや近いところがあるのですが、官兵衛のようなタイプは、自分の知性や知略が正しいということを証明したいという意欲がすごく強いのだと思います。将棋にたとえると、彼は信長や秀吉と同じ駒のひとつですが、その一方で、自分こそが盤面を上から眺め、相手の筋を読み、戦略を練る指し手でもあると考えているのです。だから、彼にとっては、戦いに勝って自分の立てた戦略が正しかったことを証明するのが最大の喜びであり、駒として脚光を浴びることには、あまり関心がなかったといえます。
ただ、官兵衛は常にそうやって戦いの場を求めている人間なので、最後には、最大の権力者である秀吉相手に自分の能力を試してみたいという気になってもおかしくはありません。人間の洞察に長けた秀吉ですから、当然官兵衛のそういうところを見抜いていて、心のどこかで恐怖を感じていたのでしょう。
企業再生請負人 冨山和彦●経営共創基盤(IGPI)CEO。1960年生まれ。85年東京大学法学部卒。92年スタンフォード大学経営学修士(MBA)。ボストンコンサルティンググループを経て、2003年産業再生機構設立時にCOOに就任。07年4月にIGPIを設立、現在に至る。著書に『経営分析のリアル・ノウハウ』など。
京都造形芸術大学教授 松平定知●1944年生まれ。早稲田大学卒。69年にNHK入局。高知放送局を経て、東京アナウンス室勤。務理事待遇。2007年退局。『その時歴史が動いた』など数々の看板番組を担当。著書に『歴史を「本当に」動かした戦国武将』など。