土佐に残した財産

貞親の養子で家督を継いだ香宗我部重親は万治3(1660)年、堀田家が改易となったため、仙台藩の親戚を頼って同藩に士官する。この親戚が柴田外記げき――元親の娘・阿古姫の子である。なお、柴田を長宗我部盛親の実子とする異説もあるが、真偽は不明だ。

直系男子が断絶した長宗我部氏は、庶流の香宗我部の子と女系の子が仙台で再会。その後、重親が古河藩(茨城県)に移るなど紆余曲折を経ながら、血をつないでいく。

なお、香宗我部の一門に、中山田泰吉なかやまだやすよし秀政ひでまさの兄弟がいた。ふたりは土佐を離れず、関ヶ原の戦い(慶長5/1600)の後にやって来た新領主・山内家に仕える豪士となった。山内統治時代の土佐では、長宗我部旧臣の身分は低い。それでも、忠義者として重用されたと伝わる。

幕末、土佐豪士たちから武市半平太、そして坂本龍馬が出る。長宗我部の遺臣たちは、土佐に貴重な“財産”を残したといえよう。

宝鏡寺跡にある香宗我部親泰墓
宝鏡寺跡にある香宗我部親泰墓(写真=Saigen Jiro/CC-Zero/Wikimedia Commons

参考図書
・平井上総著『長宗我部元親・盛親』(ミネルヴァ書房、2016年)
・山本大編『長宗我部元親のすべて』(新人物往来社、1989年)
・和田裕弘著『豊臣秀長』(中公新書、2025年)
河内将芳著『図説 豊臣秀長』(戎光祥出版、2025年)

検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます

【関連記事】
【写真をみる】長宗我部元親の弟が静かに眠る場所
秀吉に降伏→家康に頭を下げたのに所領没収…四国統一目前まで駆け上がった「長宗我部家」が没落した決定打
家康を焚き付け秀吉と戦い、2度領地を失ったのに…5万石の大名として生き延びた「信長の息子」織田信雄の才能
毛利に国を滅ぼされ、最後は織田に見捨てられ滅亡…秀吉に救いを求めた"名門生まれの戦国武将"の不憫な一生【2026年6月BEST】
越前・北庄城49万石の大名→2000石の旗本に…秀吉に滅ぼされ、家康に拾われた「柴田勝家の子孫」のその後