進軍先の朝鮮半島に関する知識がほぼ皆無
それはそれとして、秀吉本人についても、大きな問題がある。先に書いておくと、「秀吉本人に認知症の症状があった」という論考がかつてはあったが、事情はそこまで単純ではない。認知症で正常な判断ができなければ、いかに秀吉であろうと周囲が放置しないのが戦国時代であることを、忘れてはならない。
秀吉側の問題について、考えられるのは大きく以下のふたつ。
その一、秀吉の現状認識の欠如。
その二、秀吉の能力の限界。
その一、秀吉の現状認識の欠如について。最も致命的といっていいことは、進軍先の朝鮮半島に関する知識が、秀吉にはほぼ皆無だったことがあげられる。秀吉の朝鮮半島についての知識の程度については岡谷繁実『名将言行録』に詳しい。
秀吉は朝鮮八道(李氏朝鮮による八つの行政区分。京畿・忠清・慶尚・全羅など)の名を記憶できなかった。画工に命じて朝鮮半島の地図を屏風に描かせ、色で八道を区別した。「朝鮮半島を制圧すればこの色図を諸将に送り、それぞれ『赤国・青国・白国』と呼べば通じるではないか」と言った。
にわかには信じがたい話ではある。侵略先の兵力を知らず、地理を把握しない状態で出兵したことは、粗雑以外の何ものでもない。
「小田原出兵は成功した」という成功体験
秀吉は小田原出兵時におよそ二十万の兵力を動員して包囲した。重要なのはこの巨大な軍を動員することで、関東以北の奥羽諸将を、戦わずして臣従させたことだ。豊臣秀吉が史上空前の五十万の兵の動員・十五万の大軍を渡海させた時点で、「何もせずとも兵を見せるだけで、とりあえず戦わずして朝鮮の一部は降伏して併合できる」と考えたのは無理からぬことだが、これは「過去の成功体験に固執し、現状認識を欠いている」という、「老害」の典型例である。
秀吉が現状認識について大きく欠如していたのは、朝鮮半島と日本との政治システムの違いもある。忘れられがちだが、戦国時代の日本は「徹底した地方分権」で、それぞれの地域(九州とか四国とか関東とか奥羽とか)の領主の判断で「誰に服属するか」が決められた。この時代、朝鮮半島は李氏朝鮮王朝によって中央集権が完成していた。つまりどこを占領しようが、中央政府の許可がないと秀吉に降伏できず、地域の支配権も渡せないのだ。
その結果、秀吉の指揮する日本軍はソウルまで進軍して朝鮮王の身柄を拘束することを目指して失敗し、戦線の膠着を招く。
