現実的な実利しか理解できなかった

その2、秀吉の能力の限界について。豊臣秀吉がとてつもなく有能なことは議論の余地がない。ただし決定的な限界があった。それは「現実的な実利しか理解できず、象徴的な報酬や行動を理解できない」ことにある。

徳川の公式記録『東照宮御実紀』に次の記述がある。

徳川家康が秀吉に臣従したあとのこと。関白(秀吉)があるとき、家康公をはじめとして毛利・宇喜多などの諸大名を集めたとき、「わしの宝物は虚堂智愚(きどうちぐ・中国南宋時代の禅僧)の墨跡、粟田口の太刀などなどがある。おのおのが大切に思う宝は何があるか」とたずねた。
毛利や宇喜多はそれぞれ所持している宝物を挙げたが、家康公は黙っていた。秀吉がさらに尋ねると、家康公がこたえた。
「それがしは、よく知られている通り三河の片田舎に生まれた身ゆえ、貴重な書画や調度品を蓄えることはできませんでした。ただ、それがしのためには命を惜しまず水や火の中に飛び込む者五百騎を身の回りに置いておりまする。これこそ家康にとっての第一の宝と考えておりまする」
この答えに関白はいささか恥じらう様子をみせ、「そのような宝は、余も欲しいものなり」と言った。

ここで重要なことは、秀吉が真っ先に思い浮かべた(雑談でそんな話題を振ることがそもそもいかがなものかと思うが)「宝物」が「名誉」とか「名前」などではなく、本当に即物的な「宝物」であることだ。

「象徴的な褒賞」は現代でもよくあることだ。「係長になったら会社の椅子に肘掛けがつく」などの身近なものを思い出してほしい。「それ自体に資産価値はないが、権威ある者から認められた印」は、本人にとって重要な価値がある。秀吉は人間的魅力がクローズアップされがちだが、その人望は資金のばらまきという現実的な利益の裏づけがあったからこそのものだ。