下積み仕事が消え、若手が学べなくなる
三つ目は、そもそも能力を伸ばす機会が与えられない、というネバー・スキリングである。これは特に未経験入社の多い日本の雇用習慣にとっては致命的とも言えるアンチ・スキリングの側面だ。
筆者はAIで起きていることを、タスクの「だるま落とし」と表現している。下から順に、エントリーレベルの仕事が叩き抜かれていく。上に載っている高度な仕事は、当面そのまま残る。このときそのタスクに付随していた学習機会や具体的な実務経験ごと、抜かれている。
ここで、生成AIの利用用途で多いのは、資料・文書の作成、情報や資料の整理・要約、メールや議事録の作成である。いずれも、長らく育成対象である若手が担ってきた仕事でもある。
議事録を書くから会議の論点やクライアントの思考が頭に入ったり、資料の下書きを何度も直されるから、自組織での文章作法を覚えたり、データを地道に整理するから、数字の癖と異常値の感覚が養われるといった経験は、AIによって根こそぎ奪われようとしている。
この領域についても実証研究も出始めている。あるプログラミングに関する研究では、プログラミング学習タスクをAI利用群と非利用群で比較し、クイズで習熟度を測定した結果、AI使用群の習熟度は約17%も低かったという(※6)。
カリフォルニア大学の研究では、AI利用群はAIを停止した後に正答率が低下しただけでなく、回答放棄も増加した。この傾向は数学・読解・批判的思考のいずれでも再現されている(※7)。同研究は、こうしたことを、「生産的苦闘(the productive struggle)の消失」と呼んでいる。
AIは、うまくいかない時間、行き詰まる時間を丁寧に取り除いてしまう。これは人の成長を促すちょっとした背伸びの機会、ストレッチの機会を奪うことは間違いない。
※6 Shen, J. & Tamkin, A. (2026) “How AI Impacts Skill Formation,” arXiv.
※7 Dubey, A. et al. (2026) “AI Assistance Reduces Persistence and Hurts Independent Performance,” UC Berkeley 他, preprint.
理解していないのに「できる」と思い込む
四つ目の「シュード・スキリング」は、最も厄介である。
これは、能力が落ちているにもかかわらず、自分では上がったと感じるということを示している。
この錯覚は、説明深度の錯覚(Illusion of Explanatory Depth)と呼ばれる。人は物事の仕組みについて「わかっている」と感じているが、実際に説明を求められても説明できない。自転車がどう動くかを説明できる人は、思っているよりずっと少ない。
厄介なのは、外部の情報源に触れると、この錯覚がかえって強まることだ。たとえば、インターネットで答えを検索した人は、検索とは無関係の領域についてまで、自分の知識を過大評価するようになるという。人は、AI以前から、外にあった知識を、自分の中にあるものと取り違えがちなのである。
そして生成AIは、この勘違いをさらに増幅するかもしれない。
大学生を対象とした実験では、同じ内容のテキストを読ませても、AIから受け取った群のほうが、自己評価の伸び幅が大きいことが示された。ところが、書かれた説明そのものを評価すると、AI群のほうが不正確だった(※8)。人手による評価でも、語彙の多様性や意味的な整合性といったテキスト分析でも、同じ方向の結果が出ている。
生成AIの相互チャットのやり取りで進む。単なる検索にはないこのやり取りの往復は、資料を黙って読むよりもはるかに強い「わかった」という感触を生むのかもしれない。
※8 Fisher, M., Goddu, M. K. & Keil, F. C. (2015) “Searching for explanations: How the internet inflates estimates of internal knowledge,” Journal of Experimental Psychology: General, 144(3), pp.674-687.

