移住決断をさせた3年前の父の死
だが、小林さんは移住を決断した。聞けば、その背景にはもうひとつの思いがあった。
「3年前に父を事故で亡くしているんです。1人暮らしの父が朝の4時に散歩に出かけようとして階段から転落したらしく、倒れているのをお隣の方が気づいたときは約3時間が経過していました。救急車で病院に搬送されたものの、私が駆けつけたときはすでに意識はなく、結局、脳挫傷で亡くなりました。まだ74歳、2週間前は元気な姿を見ていたのでショックでした。私の自宅は実家まで車で20分ぐらいですが、もし近くにいたら、あるいは一緒に住んでいたら、早く見つけて亡くなることはなかったのにと、悔しい思いでした」
父を助けられなかった自分を責め続け、苦しんだ。そんな思いも重なり、退職を決意したという。
「父の死がなければ義母の実家で暮らすことを考えなかったと思います。例えば仕事を辞めないで義母を施設に入れるなど、無理にでも呼び寄せるとかいろんな方法を考えたでしょう。でも私自身の悔いも含めて、妻に同じ思いをさせたくないという思いもありました」
退職を決意し、義母の実家の長崎県佐世保市に移住することにしたが、やるべきことが山積みだった。
当然、上司からも慰留された。台湾、中国、フィリピンなど海外から材料を購入しており、独自のコネクションを持っていたことなどから「退職を1年待ってほしい」と懇願された。
佐世保には仕事がなかった
小林さんはその間、仕事と並行して長崎での再就職先探しに奔走した。しかし、ここで予期せぬ事態が発生する。
移住先の佐世保には培ったスキルを活かせるような企業がなかったのだ。
「退職金も出ますし、今より給与が下がることは覚悟していましたし、この先、10~15年働けるところを見つけられれば、生活していけると見込んでいました。ところが佐世保市は造船関連の会社や食品関係の会社はありましたが、私がいた情報機器や電子系の企業が1社もありません。長崎県内に範囲を広げても、車で通える距離ではありませんでした」
会社の退職金は1500万円。当座の生活費には困らないとしても、再就職先が決まらなければ、老後を含む長崎での生活は難しい。
製造業関連の企業に履歴書を20通程度送ったが、50歳という年齢のカベもあるのか、ほぼ全滅だった。
最終的に唯一、小規模ながら3カ月間の試用期間の後に正社員にするという会社が現れ、1年後の51歳のときに長崎行きが決まった。

