復活の狼煙は箱根から上がった
翌日の1月2日、箱根駅伝のスタート地点である大手町の読売新聞本社前に居並ぶ21人のランナーたちの足元はもはや、ナイキ一色ではなかった。その一割ほどがアシックスの「メタスピード」を履いていたのである。
本書『敗れてもまた走れ アシックス創業者 鬼塚喜八郎の情熱』で先述したように、契約に縛られるプロ選手がシューズブランドを変更することは、簡単ではない。しかし、学生ランナーは「速く走れる」とわかれば、積極的な変更もいとわない。現場と向き合い、選手たちに真剣に相対した結果、この箱根駅伝で、アシックスは復活の狼煙を上げたのだ。
その後もアシックスは「メタスピード」を改良し続け、学生ランナーのみならず、世界のトップ選手たちの評価も高まっていった。
2024(令和6)年に開催されたパリオリンピックでは、シューズ着用シェアが東京オリンピックの9.3パーセントから、18.6パーセントへと急回復。トップ選手たちによる評価の高まりと足並みを合わせるように、マスマーケットでのシェアも回復を続けた。
“令和「頂上作戦」” C-PROJECTの成功
ジョギング大国アメリカのランニング専門店のシェアは、その占有率を表す代表的な指標だ。ナイキの厚底旋風によって一桁台まで落ち込んだそのシェアは、「メタスピード」が実績を残しはじめた2022年末になっても7.6パーセントにとどまっていたが、2025年末には約20パーセントにまで急上昇した。
そのカテゴリーで世界のトップアスリートに評価される製品を生み出すことができれば、彼らに憧れを抱く一般の消費者に訴求していく――。C-PROJECTとして甦った令和の「頂上作戦」はここに至って、再び世界でのシェアを取り戻すことに成功したのだ。
いま一度、過剰ともいえる意見広告に目を向けてみよう。
たとえ何度負けようとも、
わたしたちは前を向く。
前に進むことは、苦しいことの連続だ。
けれど、走ることと向き合うことを決して諦めない。
よく読めば、これは創業者である鬼塚喜八郎の生き方そのものではないか。
焼け野原の神戸で鬼塚商会を興したとき、「敗北」こそがすべての出発点であった。戦争での敗北、国家の崩壊、若者の絶望――。そのなかで「スポーツによって若者を立ち直らせたい」との思いから、「健全な身体に健全な精神があれかし」との志を高々と掲げた。

