生産増なのに価格高騰の矛盾

これに対し、今回の騒動の引き金となった23年産米の猛暑等による影響は40万トンの供給減にすぎない。しかも、24年夏農水省は「コメは不足していない。24年産の新米が供給されるとコメの値段は下がる」と言い続けた。

マスコミも専門家も農水省と同様の主張を報道し、多くの国民はこれを信じた。大阪府知事が放出しろと主張したこともあり、国民・消費者は100万トン近い備蓄米の在庫があることも知っていた。消費者はコメがないことがわかると別のスーパーや米穀店に行ったりしないで、あきらめてパンやうどんを買っていた。消費者は24年秋のコメ騒動が起きたころからそれほどパニックになっていなかった。さらに、25年秋以降に供給される25年産は10%の増産だった。

SITO.氏の言う「市場心理と需給逼迫」のうちの需給逼迫は、25年秋に消滅していた。それなのに、生産者がJA農協を通じて卸売業者に売る価格は、23年産1万5315円(玄米60kg)から24年産2万5179円、生産が増えた25年産では3万5573円へと高騰していった。25年産は23年産の2.3倍である。

消費者が購入する精米5kgの価格は、23年秋までは2000円以下だったものが、24年秋には3200円を超え、とうとう25年秋には4000円を突破し、26年1月には4416円となった。

需給が逼迫から緩和する中で、過去に例のないほど価格を押し上げた「市場心理」が、どのようにして生じたのか、説明できるのだろうか。

市場心理には、消費者だけでなく、集荷業者や卸売業者、小売業者の期待や不安も含まれると考えているようだが、消費者の買い急ぎが価格を押し上げた可能性から検討しよう。経済学的には、川下(小売り・消費者段階)の需給動向が川上の集荷・生産段階にまで波及する(派生需要である)と考えるのが妥当だからである。

現代人はコメ不足でパニックにならない

なぜ、「不足するかもしれないという心理だけで価格が大きく跳ね上がること」はないのか? 米価が2倍、3倍になった大正のコメ騒動のときなら、このような主張は成り立ったかもしれない。

大正のコメ騒動では、全国各地で数百万人にのぼる大暴動が発生し、米問屋などは打ち壊され、軍隊が出動してようやく鎮圧された。このような騒動が起きたのは、食生活に占めるコメの比重が今とは格段に違っていたからである。

1918年8月頃、日本の岡山県で起きた米騒動の際、民衆の襲撃により岡山精米ビルが焼失した
1918年8月頃、日本の岡山県で起きた米騒動の際、民衆の襲撃により岡山精米ビルが焼失した(写真=PD-Japan-oldphoto/WikimediaCommons

当時の一人当たりのコメの年間消費量は170kgだった。今の3倍以上のコメを食べていた。食料事情が逼迫した戦時中、食管制度によるコメの配給は一人一日2合3勺(編集部注:約345g、茶碗約5杯分)である。これは一年で125kgに相当する。

現在一日2合3勺も食べる人は少ないだろう。それでも1日に必要なカロリーの半分しか供給できず、国民は飢餓をさまよった。今のように肉も魚も卵も牛乳もあるような食生活ではなく、ほとんどコメしか食べるものがなかったからである。

戦時中学童疎開した児童の食事は、コメ(イモ、雑穀)、漬け物、具のない味噌汁だった。小麦生産は少なく、パンは普及していなかった。