80代で書いた自伝では肯定的だが…
(中略)
私を打ったりする父を、私は恨んだりしただろうか。理由は分からないながら、私は父を恨むどころか、父の言葉をそのまま承認した。
宇野千代『生きて行く私』
宇野千代には、ベストセラーになった『生きて行く私』をはじめ、いくつもの自伝がある。そこに描かれる父は謎めいた「奇人」として、継母リュウとの暮らしは温かく慕わしいものとして語られ、ともすればふんわりとした幸福な空気すら漂う。
だが、千代が若い頃に書いた短編には、まったく違う顔が現れる。父に虐げられたときの葛藤、涙もろい母に対する苛立ち――。自伝で語られなかった心情は、初期短編の中に赤裸々に書き留められていた。
まずは、史実から記していこう。
千代は1897(明治30)年11月28日、山口県玖珂郡横山村(現岩国市川西)に生まれた。父の俊次は裕福な酒造業の次男で、母のトモは千代が1歳半の時に肺結核で亡くなっている。千代に母の記憶はないが、母の床の周囲を灯のついた赤い提灯を持ってぐるぐる歩き回り、その姿を見た母が「この子のことが気にかかってのう、死んでも死に切れんでよ」と涙を流した逸話を聞いたことがあるという。母が亡くなると、千代はしばらく父の実家の造り酒屋に預けられたが、当時の千代にはこれも記憶がない。
父は絶対的な暴君、継母は後妻
家に戻った千代は、父に「今日から、これがお前のお母〈かか〉じゃ」と佐伯リュウを紹介された。母が亡くなった翌年、父が後妻に迎えたリュウはわずか17歳だった。千代は色の白いきれいな人だと思い、実母のように慕った。
それから5人の弟妹が次々に生まれたが、継母は何事においても千代を優先した。「姉さまがお食べてから」「姉さまがお這入りてから」と下の子たちを待たせた。おかげで千代は弟妹たちとも仲が良かった。これだけ見れば幸せな家庭といえるが、この家の大きなガンは父の俊次だった。
父について千代は「バルザックかドストエフスキーの小説の中にしか出てこないような一種の奇人乃至狂人」と書くが、美化し過ぎているきらいがある。父は一言で言えば、家庭内で絶大な権力を振るう暴君で、何者も止めることができなかった。

