退職金を割増でもらえる早期退職の募集に、もし自分が直面したらどうするか。実際に決断を下した3人に、よかったことと後悔していることを聞いた――。

【ケース1】応じた人
上司とかみ合わず「もう日本は終わりだ」と絶望
想定外は社会保険料の負担と家賃補助の消滅

時間外労働だけで月200時間超の生活

「定年まで勤めるのは、無理かもしれない」

公務員として働いていたAさん(62)が初めてそう思ったのは、約20年前、40代のはじめのこと。Aさんは官民連携事業のプロジェクトに従事し、下働きからプロジェクトリーダーまで一通り経験した。

仕事は激務を極めた。終電で帰れるのはまだいいほうで、時間外労働だけで月200時間を超えた。不健康な生活のせいか、健康診断ではすべての項目で「要再検査」だった。

それでも昭和の人間らしく、仕事がAさんのアイデンティティだったが、結局、53歳のときに退職する。

「20年前、日本の人口が減少することはすでに明らかでした。だからそれを前提にこの先の国民の生活について考えるのですが、上司がその前提を理解しようとしなかった」

こうAさんは当時を振り返る。Aさんが、「これからは日本の人口が減るじゃないですか」と言っても、「いや、うちの町は行政サービスの質を高めることで人口を増やせる」という答えが返ってくる。自治体単位で人口を増やすことはできても、日本全体の人口が減ることは間違いない。かみ合わない議論にAさんは疲弊し、「もう日本は終わりだ」という気分になった。

「公務員だから、出世とか給料を増やすとかは期待していませんでした。それよりも少しでも日本のためにがんばろう、みたいな気持ちでいたのに、そこが折れてしまった」

しかしその後、Aさんは東北に転勤になり、その地で東日本大震災を経験する。「これで東北の復興が終わるまでは、公務員を辞められなくなった」と覚悟を新たにしたが、そのあと異動で東北を離れることになる。

そのころ、東京で一人暮らしをしていた父親の認知症が発覚する。Aさんが訪問すれば症状は落ち着くが、Aさんの担当する官民連携プロジェクトでは土日祝日にイベントが開かれることが多く、父親との約束を果たせないことが続いた。「ごめん、行けなくなった」と連絡しても、父親はそれを忘れてしまい、Aさんを探して外を徘徊はいかいする。警察から何度も電話がかかってくるようになった。ヘルパーや介護士の訪問を受け入れず、あくまでも自宅で暮らすことを望む父親のため、Aさんは「土日のどちらか1日だけでも休みたい」と上司に交渉したが、上司は「老人ホームに入れればいいじゃないか」という対応だった。

この言葉で、Aさんは早期退職を決断した。決断して気づいたのは、50代になると、若いころに比べて、転勤や部署異動のたび新しい環境になじむのに時間がかかることだ。「辞めて無職になるにしても、転職するにしても、新しい生活に慣れるには一日も早いほうがいい」と考えたとき、覚悟も固まった。

(文=長山清子)