父は博打好き、生活は苦しかった
実家は大きな造り酒屋だったが、千代の家は貧しかった。父が働いたことがなかったからだ。実家の金で放蕩ざんまいを続け、家を買ったのは40歳を過ぎてからだった。投機のために馬やウグイスを飼った。博打で逮捕されたこともある。色街ではひょうきん者で通っていたというが、家ではニコリともしなかった。家計は、実家を取り仕切る長男(父の兄)が月に2回届ける金でどうにか回っていた。
千代は学校でちびた鉛筆を使った。雨や雪の日は藁草履を脱ぎ、裸足で歩いた。草履を濡らすと傷むと父に言われていたからだ。
毎日午後になると「今日の相場を聞いてこい」と言いつけられた。相場が何かも知らないまま、教えられた家へ行き、紙を受け取って帰る。夜遅く、酒を買いに行かされることもあった。煮売屋で酒を買った千代は必ず、今日の肴を記憶した。父に報告しなければならず、再び買いに行かされることもあるからだ。
初期の小説に書いた父の残忍さ
それでいて父は、自分の用事以外で家族が外に出るのを嫌った。猿芝居などの流しの芸人が来ても、この家の子どもだけは見に行けなかった。少しでも楽しそうにすることは、許されなかったのだ。だが、毎年春に千代が成績優秀者として学校から褒美をもらうときの父は違った。一張羅を着た千代を連れ、馴染みの料理屋や置屋、道具屋を連れ歩いては「今日は、こいつが学校へ呼ばれての」と自慢した。褒められようが、貶されようが、家族にとって父の意思は「雲が出て雨が降るのと同じように」――つまり抗いようのない自然現象として受け入れられていた、とある。
だが、若い頃に書いた短編には、父の残忍さがもっと露骨に描かれている。
ここに注目したのが、文芸評論家の尾形明子である。
尾形は『宇野千代』のなかで、千代が過去の出来事を、その時々の自分にとって意味のあるかたちに組み替えて語っていったのではないか、と示唆している。


