「機能不全家族」の親子だった?
たとえば1925(大正14)年の「三千代の嫁入り」では、父に手足を縛られ、逆さ吊りにされる少女が登場する。酒を飲みながら娘の苦しむ様子を眺める父は「奇人」では済まされないほど異様である。だが少女は父を憎むのではなく、どう答えれば正解だったのか長い間悩む。機能不全家族に育った子どもの典型的な態度である。
同じころに書かれた「ランプ明るく」(1925年)には、母がランプの煤を掃除するだけで父が「吟味る(人前で取り繕う)な!」と怒鳴るため、暗いままにさせられる家庭が描かれる。
これらは小説作品であり、実体験そのままとは限らない。だが、そこに描かれた父の像はとてもリアルなうえ、後年の自伝に登場する父とかなり違っていることは確かだ。
やがて病に伏した父は、亡くなる3日前の大雪の日に突然外に飛び出して刃物を振り回す。裾から汚物を垂れ流している姿を見た千代は痛ましく思い、自分の人生をやり直したいという父の最後の叫びだったと考える。どんなに虐げられても父を理解したいと思う千代のアンビバレンツな心が突き刺さるシーンだ。
「往来」(1925年)では、父に「俺が死んだら、母は貴様のために学校の月謝を出し惜しむだろう。貴様は孤独になるだろう」と呪いをかけられる。実際には、父の死後にもそのようなことは起こらなかったが、娘と継母の仲睦まじさはしょせん作りものだと考える父の歪んだ心が滲み出ている。
義理の母とは仲良しだったが…
では、継母リュウと千代は肝胆相照らす仲だったのかといえば、こちらはさらに複雑だった。
「母よ」(1928年)では、リュウが千代を優先するたびにかえって継娘であることを痛感させられたと書いている。特別扱いされることが千代を大人にしたというのだ。同じように父に苦しめられている母だが、子ども時代を歪められた千代とは違い、素朴で無邪気な性質なのだろう。彼女に対する千代の嫉妬すら感じさせる。
「骸骨と母」(1925年)には、久しぶりに会った母の涙もろさを見て「私の子供ででもあるかのように」覚え、努力しようとしない彼女に苛立ちを感じる。「疲れて居るもの、気持ちの疲れて居るもの、それを見る事は、私の中に隠れて居た或る安易な、悪い心と結びつき私をそこへ這いつくばらせるような気がする」というくだりは暗示的だ。

